kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

自分を信じて仕事をする

私は一人きりの自営業者(フリーランス)になってもうすぐ九年になります。

その前に勤めていたのも設計(のようなこと)をやっている小さな事務所で、社長(事業主)と私とアルバイトの女性の3人しかいなくて、給与所得だが社会保険料や年金などは自分で納付する、みたいなスタイルだったので、いわゆるサラリーマンという感じではありませんでした。

新卒で普通の会社(大きくは無いが零細という訳でもない中堅企業)に入ってから10年も経たずに、30歳の頃にはそこを辞めて上記のような働き方になり、既に15年近くになる訳ですから、働いてきた期間の比率で言えば「普通に会社勤めしていた期間はあまりない人」になってきた訳です。

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最初に入った会社を辞める際には、「せっかく入った会社だから」とか「せっかくの中堅企業(業界では老舗企業だった)の正社員という立場だから」などという考えは全く持っておらず、思い立ったら即決で辞めました。ちなみにタイミングとしては、新卒で入社して仕事を教えてもらってばっかりというのも何なので、社内で独り立ちしてからの期間がそれまでの期間よりも十分に長くなり、利益その他の面で十分にお返しは出来ただろうと自分で思えたようなタイミングで辞めました(それ以外の理由も複数あるが今回は省略)。

今から15年ほど前の話ですから(2002年前後)、別に景気が良い訳でも無ければ転職などの事情がバラ色とか、そういう雰囲気では全く無かった訳ですが、正社員の立場云々に全く未練が無かったのは、今から思えば単に何も考えて無かったとも言えるかも知れませんが、基本的には組織とか会社というものを信用してなかったからなのだろうと思います。

すなわち、どんな会社でも傾くときは傾くし、どんな立場でもクビを切られる時は切られるのだから、そんな「相手頼み」の立場に恋々としたって「安定」という点では何の意味もない訳で、それよりももっと「自分一人でも生きていけるような立場」になることのほうが余程「安定している」と考えたのだろうと思います。

今から思えば当時の自分の考え方や思考というのは(仕事に関することに限らず)「若かったな」と思うこともあるのですが、仕事に関して言えば結局それから15年ほど経った現在においても「一人きり」を続けている訳ですから、芯の部分は今でもそれほど変わっていないのだろうとも思っています。

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自分自身もサラリーマンを辞めた頃から体調を崩して(診断名は「パニック障害」)十分に働けないどころか外食さえ辛いような時期が長くありましたし、また結婚してからも妻や子供が入院したりというようなことが一度や二度ではありませんでしたが、そんな経験を踏まえれば踏まえるほど出勤時間や規則などに縛られずに「自分の都合に合わせて自由に働ける」立場のほうがよほど仕事のパフォーマンスを発揮出来るのだから良いのではないか、というような思いが強くなったようにも思います。

そんな訳で、信じられるのは究極には「自分だけ」という意識で仕事を続けてきましたが、そのような生き方が自分には合っていたのだろうと思っています。

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なお、では「会社」とか「サラリーマン」という存在を否定する気持ちがあるかと言えばそれは全くありません。仕事の種類にもよるのですが会社などのいわゆる「組織」が無いと財やサービスを世の中に提供出来ない業種など多数ありますし、私が働く業界だってそうです。取引先の「会社」が世の中と私の技術力を結びつけてくれているからこそ仕事をする者としての私の居場所があるのだと思っています。

ただ、性格などの自分自身の問題や、もしくはその他の色んな周辺事情により、組織(会社)で働くことが困難なのであれば、そうであっても「自分が世の中(と言えば大げさであれば例えばあるコミュニティ)に対して提供出来る財やサービスなど」のことを突き詰めて考えスキルを積み上げてさえいれば、「正社員」という道を外れたくらいで「ダメな人生」に陥ってしまうなんてことは無いのではないか?という風には今でも思っています。

「美味いものを食べて幸せ」と「結婚の幸せ」は質的に異なる件

私は46歳の男で、結婚して15年近くになります。

独身の時の結婚願望は強かったと思います。そして結婚して(出来て)良かったなとずっと(今でも)思っています。

いわゆる夫婦喧嘩をした記憶はほとんど無いのですが、かと言って妻と私とでは考え方や意見などが全く同じという訳ではもちろんありません。意見がぶつかることもよくあります。すなわち、喧嘩ではなく「議論」になることはよくあります。それこそ日常茶飯事です。

また日常的な些細な行動に関して、「もし独り身なら、こんなことまで気にかけないだろうけど、そうしておいたほうが妻が快適なのだったら、そうしておこうか」みたいな感じで行動することもあります。逆に妻も同様だと思います。

じゃあ、そういう部分は「我慢」とか「耐える」とか、そういった類のものなのかと言えば、それは決定的に違うように思います。

真の意味で我慢し耐えている事柄というのは、手放したり逃げてしまって差し支えないものであれば進んでそうするでしょうしそれを望むでしょう。しかし私にとっての「結婚生活」というのは、全く逆で「絶対に手放したくないもの」である訳です。

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すなわち、大事にしたいものであるからこそ、許容できる範囲での制約なら進んで受け入れますし、また例えば妻と意見がぶつかり簡単に引ける内容で無いのならば、真剣に議論し、解決策を見つける訳です。言葉の定義の問題かも知れませんが、いわゆる「妥協」というものとは少し異なると思っています。

私は妻と子供(小学四年生の一人息子)のことを心の底から愛おしいと思っています。そしてその家族というものは「絶対に失いたくない存在」である訳です。

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例えばラーメンがもの凄く好きな人が、最高に美味いラーメンと出会った時には最高に幸せの気持ちになるでしょう。もちろん金銭的な対価は支払う訳ですが、基本的には一方的に提供を受ける側ですし、逆に味や店主の態度などに不満足であれば「次から行かない」で済む訳ですし、代わりはいくらだってあるという類のものだと思います。

そのような幸福感とは、結婚生活の幸福感は質的に全く異なるものだと思います。そもそも「代わりになるもの」なんて無い訳ですし、夫婦関係や子育てのことで上手く行かない何かがあれば真剣に悩み、善処し、そして自ら成長しながら、昨日より今日、今日より明日が少しずつ幸せになっていき、そして一定の年月が過ぎた後に過去を振り返ると、「ああ、この年月は充実した時間であった」とじっくりと幸福感を感じるようなものだと思います。もちろん、個別的に日々「嬉しいこと」も多くありますが、根本的な幸福感というのは先に述べたようなものだと思っています。

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最後にまとめになりますが、もちろん夫婦の相性や配偶者の境遇により千差万別なのかも知れませんが、結婚というのは「誰かと結ばれたから幸せ」「結婚出来たからバラ色」みたいな即物的なものでは無いと思っています。

それを心底から大切に思う自らの心と、それに基づいた自らの日々の思考や行動を伴ってこその「幸福感」であるのだと思っています。

「モヤシの値段が安すぎる問題」を見て思ったこと

最近、モヤシの値段が安すぎるという問題を伝える記事をいくつか目にしました。

記事の引用まではしないのですが、平たく言えば小売価格が安くなり過ぎて、生産者の利益が少なくなって、廃業してしまう生産者も増えており、このままだと生産者が居なくなってしまうのではないか?と言うような問題です。

じゃあ、適正価格はいくらなのか?それは専門家でない私には分かりませんしここでは言及しないのですが、1袋が10円とか、そういう値段は確かに「安すぎる」のかなと思います。

そのような値段を付けてしまうのはスーパーなど「売る側」である訳ですが、そのような限度を超えた低価格を我々「買う側」が求めているからこそ、すなわち「安ければ安いほうが良い」という価値観が行き過ぎてしまっていることが、そのような値段で流通してしまうことの遠因であることは間違いが無いように思います。

そして、そのような価値観の構造と、その結果として過度に(限界を超えて)モノの値段が下がりすぎて生産者がやっていけなくなる危機に瀕する、という問題はモヤシに限らず普遍的なことなのだろうとも思いました。

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「安ければ安いほうが良い」というような価値観自体は昔からあっただろうし庶民としてはそれが多数派だったのだろうと思うのですが、「さすがにこんなに安かったらマズいだろう」というような常識による歯止めが、長く続くデフレ経済の中で失われて行ったのかな?と思ったりします。

最初の内は、今までと同じもの(もしくは今までより良くなったもの)が今までより安い値段で買える訳ですから、それは消費者とすれば大喜びです。

しかし上で述べたような問題で生産者がやっていけなくなれば、その商品が生産されなくなる訳ですから、そうなってからでは「絶対に買いたいと高いお金を出しても」モノが無い訳ですから買えない訳で、そうなってからでは手遅れです。

また他の問題として、消費者の大半はイコール労働者(普段は仕事をして財やサービスを生産している側の人間)である訳ですから、デフレの構造の中で継続的にモノの値段が下がっていけば、それと比例する形で自らの「給料」も下がっていっても不思議ではありません。すなわち、自分が消費者として買う時ばかりでなく自分たちが労働者として生産して売る側の際の「モノ」の値段も下がっている訳です。

そして、買う側としての「モノの値段」と労働者としての「給料」が比例して下がってゆけば「チャラ」なのかも知れませんが、給料の下落というのは皆が平均的になるとは限らず、すなわち既に高い給料を貰っている人(=上の世代)の給料は色んな部分で守られている(いわゆる既得権)ので下がりにくい構造ですので、その分だけ若い世代の給料が下がったり、もしくはまだ子供だが今から大人になり働く人の初任給が下げられたり、正社員ではなく期間雇用などで給料が安く抑えられたり、という形で若い世代にしわ寄せがいくのかも知れません。

私はマクロ経済に詳しい訳でも何でもありませんので上記は聞きかじりであって、それは間違いで「デフレであっても全く問題無い」ということであればそれで良いのですが、もし若者(や将来大人になる現在の子供)にしわ寄せがいくということが本当なのであれば、それを上の世代(私は現在46歳)として是認するというような姿勢は、人間として相当に問題があるように思っています。あくまで個人的考えですが。

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そんな訳で、私は今のところ「自分が節約し過ぎたら、若者限定か否かは別として、どちらにしても真面目に働いている労働者の給料というものに対して下方圧力が掛かることは間違いが無いだろうから、もちろん欲しくも無いものを無駄に買う必要は無いが、逆に生活に苦しくも無いのに過度に節約する必要も無いだろうし、すなわち節約=庶民としては完全に正しい行為、という思考からは抜け出さないといけないな」という風に随分前から思っています。

と言っても例えば本日もそうでしたが、よく行くお店で普段食べている定食(約800円)とほとんど同じ内容のものが本日はキャンペーンで約600円だったことを心の中で大喜びしているような「庶民」ですから、上で述べたような「考え」と実際の「感情」にはズレというかジレンマがある訳ですが、「だから何も考えない」よりかは「それでも何かを考えて」自分が正しいと思うような行動を1つでも2つでも増やしていけるのなら、それは決して無意味では無いと思っています。

「たった3つの習慣」で全てが上手くいくハズが無い

「シンプル過ぎる」と言えるような言説があります。

例えば子供が勉強出来るようになる為には、「親はコレさえ気を付ければ必ず上手くいく!」とか、

例えばサラリーマンに向けて「独立しても成功する為のたった3つの心得」とか、

以上の「例」は私が今、適当に考えた「サンプル」ですが、このような言説を目にすることが少なくありません。

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子供に関することで言えば、「たった一つ」の何かで勉強が上手くいくなんてことが、「全ての子供」に当てはまる訳が無いと率直に思います。

もちろんその方法で上手くいく子供が居たとしても、子供自身の性格や親の性格、親子関係、友達などの周辺環境の違いにより人それぞれ様々であって、全く真逆のアプローチのほうが上手くいく子供だって居るでしょう。

仕事の独立の話で言えば、たった3つの心得どころか誰にも何も指南されなくても自らの嗅覚だけで成功するような人が「独立に向いている人」であって、そのような感じでない人がインターネット記事などで「たった3つの心得」を指南されただけで上手くいく訳がないように思います。

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そのような言説が、本当に読み手のことを思っての内容なのか、それとも執筆者が儲けたい(お金や閲覧数など)為だけの「人々の目を引く為の言説」なのかをよく吟味して読まないと、

例えばそのせいで子供の勉強が深刻なレベルまで悪化したり、もしくは自分の職を失ったりしても、執筆者は直接的には「一切の責任を負わない」訳ですから、

自ら相当に気を付けておく必要があるのだろうと、個人的にはそのように思っています。

マナー違反と「犯罪」は決定的に違う件

なんか「マナー違反」と「犯罪」がごっちゃになっているなぁ、と改めて感じたので記します。

きっかけは、先日の産経新聞の朝刊で以下の書評を読んだことです(インターネット上の記事から引用しますが実際には朝刊の紙面で読んでいます)。関係する箇所のみ引用します。

仕事の手順や態度、時間の管理など職場でおかしいと思うことがあるとムキになって相手を責める人、芸能人の私生活の行動や公務員の“規則違反”などを取り上げては執拗(しつよう)にネット攻撃する人…。

自分が正しいと思わないものは悪、自分の味方でなければ敵だと単純にしか判別できず、短絡的に他者を攻撃してしまう。こうした、物事を多面的に見ることができない「認知的複雑性が乏しい」人が増えていると著者はいう。

【書評】フリーライター・桃村茶保が読む『正しさをゴリ押しする人』榎本博明著 あなたのまわりにも… (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)より引用

確かに仕事の手順なんて人それぞれ価値観の違うもあるだろうし、芸能人の私生活なんてホントにどうでも良い話だし、公務員の規律違反なんて、、、

ん?と思った訳です。公務員の「規律違反」は非難されてしかるべき「ダメなこと」であって、仕事の手順や芸能人の私生活のような事柄とは全く異なるだろうと率直に思いました。

確かに、自分が認められない行為を全て非難するような姿は問題があるという部分は同意する気持ちが強いのですが、やっぱり公務員の規律違反は強く非難されてしかるべき事柄であるように思いますし、また例えば同じ「不倫」であっても芸能人のそれは当人たちの問題であって周りが大騒ぎするようなことじゃないと思うのですが、一方で政治家のそれは有権者である国民から強く非難されてもおかしくない事柄なのであって、何でもかんでも「一緒くた」は良くないのではないかと率直に思う訳です。

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ただ、公務員の規律違反に関しては、その内容にもよるのですが犯罪と書かれている訳ではない訳ですから文字通り「規律違反」の範疇だったとすると、政治家の不倫も同様ですが、まあ「犯罪」とは違う訳ですから「目くじらを立てるようなことじゃないさ」という考え方も有り得なくはないしなぁ、と思わなくもありません(私はそのようには考えませんが)。

そんなことを思った矢先に今朝の朝刊で以下の記事を読んだのです。こちらもインターネット上の記事から引用していますが実際には朝刊の紙面で読んでいます。

イベントは大盛況で閉幕したが、ユーザーのマナーが問題に。鳥取市では25日にJRの線路にイベント参加者とみられる男女約10人が立ち入り、県警が鉄道営業法違反容疑で捜査。市中心部でも歩きスマホや違法駐車が横行し、県や県警に苦情や通報が相次いだ。

イベント関係者の一人は「砂丘で安全に楽しんでもらうはずが、実施エリアを拡大したために市街地や駐車場での歩きスマホなど、危険を招いた。危機管理が甘かった」と振り返った。

ポケモンGO…鳥取砂丘8.7万人!線路立ち入り、バス待ち3時間、歩きスマホ、違法駐車…トラブル続出(2/3ページ) - 産経WESTより引用

なんか書き始めから「マナー」の問題みたいに扱っている訳ですが、確かに「マナー」の範疇の事柄も多いのでしょうが、

「線路に立ち入る」

とかはマナーの問題でも何でもなく普通に「犯罪」である訳で、しかも常識としてやったらダメと誰でも分かるような明確な違法行為であるように思いますし、鉄道と言うのが極めて公共性の高い社会インフラであることを考えれば「悪質」なものであるとも思いますし、小学生の遠足の引率じゃないんだから開催者が別に事前に何か対策をしなければならないような事柄でもなく、参加者(=国民)の一人ひとりが普通に法律に従って行動すれば良いだけの話で、価値観の問題ですら無いように思います。違法駐車も同様です。

改めて「マナー」を辞書で調べると

態度。礼儀。礼儀作法。「マナーのいい人」「テーブルマナー」

manner(マナー)の意味 - goo国語辞書より引用

という意味であって、

「犯罪」とは

1 罪をおかすこと。また、おかした罪。「犯罪を防ぐ」「完全犯罪」

2 刑法その他の刑罰法規に規定する犯罪構成要件に該当する有責かつ違法な行為。

犯罪(はんざい)の意味 - goo国語辞書より引用

ということですから、「それは迷惑だし許せない」「いや、それくらいはお互い様だし許容の範囲だろ」と価値観により左右されるような「マナーの問題」と、

明確な違法行為(=犯罪)は分けて考えるべき事柄であるように改めて思いました。