kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

2017衆院選の結果を見て思ったこと

衆院選が終わりました。自民党の圧勝という結果でした。

自民党が圧勝という結果は極めて当たり前の結果であるように思いました。自民党が素晴らしいから、というよりかは「他に選択肢が無い」(まともな野党が居ない)ということなのかな、と率直に思いました。

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ここ何回かに分けて取り上げてきた「日本をリセットする!」と吠えていた新党に関してですが、結果は惨敗だったようで、全国的に広がりを見せなかったとか、そういうレベルの負け方ではなく、お膝元である「東京」でも惨敗という結果で、党首の「側近」という候補者が落選するような有様です。

この新党に「合流したい」という民進党の議員に対して新党党首が、考えが違う者は合流をお断りするという意味で「排除する」という言葉を使ったことが有権者の支持率を下げたというような記事も読んだのですが、考えが違う者の合流をお断りすること自体は正しいことのように感じる訳ですが、そもそも新党なので国政で何の実績も無い上に党首は今回の選挙に立候補もしませんし、更には党首の職である東京都知事としても大した実績もあげていない(と言うより知事になって時間も大して経ってない)訳ですから、そんな党に対する有権者の「支持」なんて党首に対するイメージ優先で大した根拠も無かったのでしょうから、党首のちょっとした態度や言葉遣いなどの瑣末な話でも「イメージの悪化」で支持率が急落するのは極めて当たり前の話であるようにも思いました。

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そして、そんな新党であっても「泥舟」民進党よりかはマシだと言って踏み絵を踏まされてまで新党に移った元民進党議員たちでも当選した人は多く居る訳で、と言うよりも新党の当選者50名の内の半数以上(私が見た報道では31名)が元民進党議員である訳であり、すなわちついこの前の民進党時代には「安保法制反対」と叫んでいた元民進党議員が今回の選挙の為に「賛成です」(は言い過ぎかも知れませんが民進党の時のような反対一本やりでは無い)なんて宗旨替えした議員が「半数以上を占めている」というのがこの新党の姿である訳です。

仮に「選挙も終わったし、やっぱり安保法制は反対だ」なんて離党したりする議員が出てくればそれは人間性という部分では相当酷いとしか言い様が無いように思いますし、そしてそれをまとめることが出来ない党首というのは無能としか言い様が無いと思います。

まあ、そうなると決まった訳ではありませんが今後注目すべきポイントであると思っています。

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この惨敗した新党とは対照的だったのが立憲民主党でした。大躍進どころか新党であるにも関わらず「野党第一党」にまで上り詰めた訳です。

私個人的には思想や理念と言った部分ではこの立憲民主党にシンパシーを感じる訳では無いのですが、それでも元民進党議員として、それまで主張してきたこととは全く異なる主張をする党にどれだけ「風」が吹いて人気がありそうだからと言ってそこに合流するなんて出来ないので、今まで民進党議員として掲げてきた政策等をそのまま主張し続けようと有志が集り新党を立ち上げて、自らの理念を貫きながら戦うといった姿には、「人間の生き様」としては共感するような気持ちも少し覚えました。

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と言う訳で、この何回かはずっと選挙のこと(と言うより「日本をリセットする!」と吠えている党に絡めた話)を書いてきましたが、選挙が終わりましたので、今後は普段通り(政治のことは基本的に触れない)のスタンスに戻したいと思います。

「決められない政治」はある意味当たり前

総選挙の投票日が近づいてきました。

さて、標題に関してなのですが、嫌いな自民党が与党として弱ってきてなかなかモノを決められなくなれば「決められない政治」だと嗤い、逆に強くなってバンバンと法案を通せるようになると「強行採決」だの「独裁政治」だのと喚いているマスコミ(特にテレビと一部の新聞)には辟易する次第なのですが、まあ表現の自由でしょうから良いのでしょう。

私が政治に関する何かを考える際に最も慎重に考える事柄の一つに、「それを行う者が誰であっても、その制度を許容出来るか」という点があります。

例えば何か改革が行われて(分かりやすいのは一院制)、モノが決めやすい(その時の為政者の意志や価値観が反映されやすい)状態になったとして、その時の与党が自民党で首相が安倍総理なのか、例えば与党が(昔の)民主党で首相が鳩山由紀夫なのか、そのことと「制度」は別の話である訳ですから、その点は非常に注意深く考えないといけないなと思うのです。

制度の話だけでなく、例えば何か表現等の規制の話があったとして、その表現自体を自分が好きか嫌いかとは別に、そのような規制が行われること自体の是非を考える必要があると思う訳です。

例えば私はクルマが好きでバイクが好きでないからと言って、バイクに関して何かの規制がかかる際には「規制したほうが安全なんだから良いじゃん!」なんて賛成し、クルマに関して何かの規制がかかる際には「社会全体では安全かも知れないけど、オレは困る!」なんて反対するような姿勢は、非常に慎まれる行動であるように考えている訳です。

そのように考えると、自分が嫌いなものや少数意見の事柄であっても、「自分とは無関係」だからとそれが無くなったり肩身が狭くなるような規制等に関しては、結果的に賛成するのか反対するのかは別として、その結論に至るまでには相当慎重に考える必要があるのだろうと思っています。

そしてそのような考えだからか、「まずはリセットしてみよう」とか言っている政治家や政党のことを私は心底から不信に感じるのだと思います。

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ところで、私は一人でフリーランスで仕事をしているので、何でも勝手に自分で決められます。好きなことは始めれば良いし嫌ならやめれば良いです。

これが従業員が数名でも居れば、社長(事業主)の一存で何でも決めていたら従業員は大変です。従業員のことも考えながら進路を決めていく必要があることは言うまでもありません。

更に会社が大きくなり大企業になると、従業員の数も莫大で支社や部署も多数ありますので、従業員どうし、もしくは部署等どうしがその立場により利害が対立することが増えてきますので、何でもかんでも経営者の一存で決めてよい訳は無いし、ワンマン的に「社長の一存」で決める会社が必ずしも好ましいとは私は思いません。

それ(すなわち色んな利害関係者が混在しているコミュニティ)を更に大きくしたものが市町村などの自治体、更に大きくして都道府県の自治体、そして最後まで大きくしたものが「国家」です。大きくなるごとに誰かの一存でスピーディに物事が決められなくなっても当然だし、そもそもスピーディに決められることこそが絶対的な「善」とも思いません。

そのように考えると、例えば企業でワンマン的な辣腕経営者だったとか、もしくはどこかの自治体のトップとして何かを改革したとか、そういう人が居たとしてそのコミュニティでは「最善のこと」をやったのが事実だとしても、だからと言ってそういう人が国政に入ってきて「即断即決が最善だ」みたいな流れになることは必ずしも正しいことなのかな?と私なんかは思う訳です。

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と言う訳で、規模が大きな自治体とか、特に国政では「決められない政治」はある意味当たり前であると思っていて、もっと言えば「なかなか決められない」部分により一定の健全性が担保されているようにも思う訳です。

同じ民主主義でもその対極にあるのが、例えば何でも国民投票をやって「直接的な多数決」で全てを決めてしまう社会なのですが、例えば自分の嫌いな何かが直接的な多数決で否定され廃止されて喜んでいたら、暫くすれば自分の好きな何かが社会的には少数派であるが故に(そのようなものが誰でも一つや二つ、いやもっとある)直接的な多数決で否定されてしまうという、そういう世の中が私が考える最も嫌な社会です。

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最初の話に少し戻りますと、二枚舌的なバカみたいな報道(という名を借りたイデオロギー活動にしか私には思えない)をするテレビ局や新聞社であっても、それでも相当の法令違反でも無い限りはその活動が認められる多様性、寛容性こそが大切な社会の根幹なのだろうと思っています。

そんな訳で「決められない政治」に関して思うことを記してみました。

「首相なんて誰がやっても同じ」は有り得ない

はじめに

総選挙が近づいてきました。

「日本をリセットする!」と叫んでいる新党ですが、肝心の党首は出馬しないということで、しかしながらその党は今回の選挙を「政権選択選挙」(ようは自分の党が政権を取りにいく選挙)と位置づけているようで、じゃあ本当に政権を取ったら誰を首相にするつもりなの!?という当たり前すぎて子供でも思いつきそうな疑問点に関して世間は喧しい訳ですが、それを見ていて思い出したことがありました。

「首相なんて誰がやっても同じ」は有り得ない

2009年の総選挙で自民党から「民主党」へ政権交代たことがありましたが、その少し前の頃にはよく「首相なんて誰がやっても同じ」という意見が出回っていたな、と思い出した訳です。

いやいや、そんなこと有り得ないでしょうよ、と私個人的には思っていましたが、政権交代前の民主党の異常な支持率の高さから、実際に政権交代となりその現実を見て有権者は一気に落胆し支持率も一気に下がった経緯を踏まえると、事前にはそのように「軽く」考えていた有権者も少なくなかったのかも知れません。

他にも、首相というより政権政党(ようは政権交代を果たすことになる民主党)に関して「任せてみてダメなら元に(自民党に)戻せば良い」というような言説もよく見聞きしましたが、やっぱりダメだったから自民党に戻して欲しいと強く願う国民が主流派になっても、なんせ解散権は首相の専権事項ですので、どれだけ「取り替えたい」と思う国民が多くなっても粘ってなかなか解散しなかったのは周知の通りです。当たり前ながらその政権与党が粘っている間は国益が損なわれ続けます(何が国益かは意見が分かれますが、ここで言いたいには「早く取り替えたい」と思っている国民が考える「国益」が損なわれる、という意味となります)。

今回も「任せよう」という気には全くならない

そんな訳で、今回の「日本をリセットする!」党の話に戻しますと、党首は不出馬で仮に政権を取っても首相が誰になるのか分からず、更には公認候補の大半は「全くの国政の素人か、もしくは元民主党議員」である訳で、そのどちらが数的な主流派となっても絶対に嫌だなと私なんかは思う訳で、そんな政党の支持率(期待)がイマイチ上がらないなんて報道記事を先ほど見かけたのですが、「そんなもん当たり前やろ!」なんて思ってしまいました。

まあ、もしかしたら党首が電撃出馬するのかも知れませんし、リセットとかしがらみのない政治とか12のゼロとかそんな抽象論ばかりでなく、政策の話というよりかはむしろ「体制」として政権を取った暁にはこんな体制でしっかりやって行きますみたいな話が今後出てくるのかも知れませんが(あの民主党ですら政権交代前からずっと「次の内閣」というものを設けていたと記憶しています)、そんなものも無しに「政権を任せてみよう!」なんて思う国民が多数居ると思われているのだとすれば、国民も舐められたものだと思います。

おわりに

とまあ、私としてはそのように思うのですが、もしかしたら私の考えが世間の平均から見て「おかしい」のであって実際は「日本をリセットしてみよう!」と思う国民が多数派でこの党が政権を取ってしまうなんてことになるのかも知れませんが、仮にそのような事態になれば私は単に「平均から見ておかしい人」だったことになりますので、このアカウントは削除しこの場を去るつもりでいます。

それくらいの腹は括れるほどこのような新党が手順を踏まえずいきなりイメージだけで「政権」を狙うことはおかしなことだと思っていますので、当ブログではずっと政治的な話題は避けていましたが、今回は記している次第です。

「しがらみのない政治」など有り得ない

総選挙が近づいてきました。

「日本をリセットする!」なんて言っている党が、スローガンとして「しがらみのない政治」なんてことも言ってましたが、率直に言って有り得ないと思います。

と言うよりも、その党(東京)と別の党(大阪)の党首どうしで会談をして、(私の見た報道が正しければ)候補者の調整をするそうで、すなわち東京組は大阪には候補者を立てないし、逆に大阪組は東京に候補者を立てないそうで、それって思いっきり「しがらみの政治ですやん!」と思ったのは私だけでしょうか。

そんな党首二人が会談後に「しがらみのない政治」と書かれたボードを掲げている姿は喜劇のようにさえ見えてしまいました。

「日本をリセットする!」党が大阪に候補者を立てないということは、大阪在住の私が仮にこの党に投票したくても選択肢として無い訳でして、そういう住み分け的な従来的な方法に縛られず候補者が居る限りはどこにでも候補者を送り込むことこそ「しがらみのない政治」なのだと思うのですが、私の頭がアホなのでそのように感じるのでしょうか。

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そもそも「しがらみ」の定義もよく分かりません。小泉劇場以降、よく「既得権益が~」とか言って公務員など特定の立場の人が叩かれていますが(最近は少しマシになったという印象ですが)、確かに世の中にはたくさんの「既得権益」があってその恩恵を受けている人は多いのですが、人数で言えばその恩恵を受けている大多数は「民間人」「一般の人」であるハズだと個人的には思っています。

それこそ公務員なんてOECD諸国の中でも労働人口の中に占める比率が最低クラスの我が国ですので、何かの既得権があったとしたらそれは圧倒的に民間企業なり、もしくは(公務員も含めた)個々人が一般市民(国民)として恩恵を受けているケースが多いのだろうと思っています。

例えばサラリーマンの妻が年金制度の上で優遇されていればそれは「既得権益」であって、その制度を見直そうとすれば必死に抵抗するのはサラリーマンです(公務員も同じですが)。すなわちサラリーマンたちが「抵抗勢力」である訳です。

例えば住宅ローン控除の恩恵なんてすごく大きいと思う訳ですが、住宅を買えない(買わない)人たちは全く受けることのない恩恵である訳ですから、もの凄い「既得権益」です。これを即座に廃止しようなんて話になったら住宅ローンを組んでいる一般市民は「暴動」並みの抵抗をするのではないでしょうか。

個人で言えばそんな話は他にも色んな話が山ほどあるハズですし、会社単位で言っても別に特定の業界に限った話ではなく、全ての業界に「既得権益」はあるのだろうと思っています。そして政治で何か制度を触ろうとしてその既得権益が侵されそうになれば、民間人なり一般市民の立場の人たちも必死で「抵抗」する訳です。

そして、私はその人々が「必死で抵抗する」その姿がおかしいとはちっとも思いません。身を守るという本能的な面から言って「当たり前の姿」なのだろうと思います。

誰かの権益は誰かの負担なのであって、そのがんじがらめの権益を何とかやっていけるように調整するのが政治の仕事なので、「しがらみだらけ」で当たり前であると思っていますし、逆にそれを「リセット!」して欲しいなどとは思いませんし(革命家でもあるまいし)、そのような部分を「リセットする!」などと言っている政治家を私は信用しません。

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とまあ言っても、私が知っている世の中と社会全体の平均は大きく違っていて実は「民間企業や一般国民の既得権益などほとんど無い」ということであれば、それは大変申し訳無いのですが、私の見てきた世の中に限って言えば上で述べた通りですし、また私は自分の立場に関わらず、すなわち私はフリーランスなのではっきり言えばサラリーマンの人たちが羨ましく思える部分も無いと言えば嘘になる訳ですが、そういう自分の立場上の感情とは別の視点から政治を見るように心掛けています。

節操の無い政治家の行動を「はてブ互助会への参加」に例えてみた

解散総選挙となりました。

なんでも民進党(旧民主党)が実質的に解党するそうで、その民進党議員たちが「日本をリセットする!」と言っている党へ合流するそうです。

安保法制とか憲法とか、国の根幹に関わる大切な事柄に対して党全体としては基本的に「逆」のことを言っていた民進党の議員が、沈み行く泥舟から逃れるがごとく、節操も無く「人気政党」(しかも実績は何も無い、単なる党首の巧妙なイメージ戦略により人気があるというだけの新しい政党)にすがり付いている、という風にしか私には見えません。

安保法制とか憲法改正に反対か賛成か、それは人それぞれ価値観により様々であって然るべきと思いますし、そのこと自体に対してはここでは言及しないのですが、「ついこの前まで片方の立場だったのに、自分の議員という身分を守る為にもう片方の立場に移るなんて、節操が無いですね」という風に思う、という意味となります。

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例えば「はてブ互助会」というものがあるようですが、それに賛成か反対かは人それぞれ価値観により様々であって然るべきと思っています。

ただ、例えば仮定の話ですが「今後は1記事につき5個以上のはてブを得られないブロガーはアカウント停止」という決まりが出来たとして(繰り返しますが仮定の話です)、それまでは反対の立場で「はてブ互助会」の参加者を猛烈に批判していた人がそうなった途端に手に平を返すように「はてブ互助会」を肯定し参加し出したら、普通に考えると「節操が無さ過ぎるし、全く信用ならんヤツだ」という風に捉えられるのだろうと私なんかは思いますし、私は別に今まで「はてブ互助会」を批判したりしたことは無いつもりですが、それでもそのような営みは自分自身は行わないでおこうと決めていますし、仮に上で述べたような新ルールが出来れば、潔くアカウントを削除してこの場を立ち去ると思いますし、そのような部分が自立した大人としての最低限の矜持であるように思う訳です。

すなわち、自分自身は手の平返しをして「節操が無さ過ぎるヤツだ」なんて周囲から思われるのは絶対に嫌である訳でして、そのような行動は最大限慎むのだろうと思いますし、そしてそのような行動を易々と取るような人に対してはやっぱり「軽蔑」のような気持ちを抱いてしまうかも知れません。

冒頭からの話に戻しますと、現在の民進党議員の動きというのは、私にはそのような対象にしか見えません。

そんなことを改めて思いました。