kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

クルマの運転 「ほんのちょっとだけ」の労力で安全面に大きな効果が出ることは山ほどあると思う

先ほどインターネットでニュース記事を見ていて、いくつか交通事故の記事も目にしました。

今回は個別の事故形態について何かを言いたい訳ではありませんので、記事の引用はしないのですが、改めて思ったのは、「ほんのちょっとだけ」の労力と言うか、気を付けると言うか、そういう「ほんのちょっと」で安全面に大きな効果が出ることって山ほどあるのではないか?と思いました。

例えば「シートベルト」なんて装着する為の労力は本当に「ほんのちょっと」だと思うのですが、その「ほんのちょっと」の労力により得られる効果は本当に大きいように思いますし、それは自分がドライバーなのか同乗者なのか、また前席なのか後席なのかも問わないように思います。

他にも、例えば運転中にケータイに電話やメールを受信したような時でも、「ほんのちょっと」くらいは後回しにしたって大して困らないような用事が大半のようにも思いますので(仮にもの凄く大事な用事であったとしても後から掛け直すまでの時間が「ほんのちょっと」なのであれば問題にならないケースがほとんどだろう、というような意味です)、自らの命の危険の他に、他者(特に歩行者や自転車など)の命を危険に晒してまで「ケータイしながら運転」をすべき事情というのは、個人的には思い当たりません。

挙げればキリが無いのでこの辺でやめておきますが、もちろん特に自分がドライバーの場合は他者への安全もありますので労力の大小に関わらず安全運転の「義務」があることは大原則ですが、そのような大前提の意識とは別に、「ほんのちょっと」のことは「念のため気を付けておこう」と意識することもまた大切なことなのかも知れないと改めて思いました。

「プレミアムフライデー」に感じる矛盾

はじめに

私はマクロ経済に関して全くの素人ですので、以下の記述は「素人の戯言」に過ぎないことを、最初に申し上げておきます。また、ちょっとだけ思った「素人の戯言」ですので、手短に記します。

プレミアムフライデー」とは?

報道を読んでの「プレミアムフライデー」に関する私の受け止め方は、

・労働者の就労時間を短くし労働環境を改善する
・今までより余分に仕事から解放された時間を食事や旅行などの「消費」に費やしてもらうことにより経済状況を好転させる(景気対策)

の二つを両立させるような政策、と理解しています。

プレミアムフライデー」に感じる矛盾

プレミアムフライデー」の恩恵を受ける人は確かに労働時間が短くなり労働環境が改善されるのかも知れませんが、そもそも「国民の皆が働く時間を減らしたら」景気は悪くなります。何故なら平たく言えば「生産量が減る」為です。

景気の良し悪しは基本的にGDP(国内総生産)の大小で測られ、そのGDPというのは「三面等価の原則」が成り立ちますが、私は素人なのでそのような難しい内容の解説は抜きにして、もっと平たく「常識的に普通に」考えた場合、

・景気が良くなる…消費者の「消費」が増え、それに比例して労働者の「労働量」も増える

・景気が悪くなる…上記の全く逆

だと私には思われる訳です。

従って何かの政策により「労働者の労働量が減少」すれば、それに比例して「消費者の消費量も減っている」ハズ(=景気が悪くなる)ですし、逆に何かの政策により「消費者の消費量が増えている」(=景気が良くなる)のであれば、それを賄う為に労働者全体の「労働量」は増えているハズだと思う訳です。

従って、「プレミアムフライデー」の効用を謳うのに、例えば「景気が悪くなる点は諦めるが、労働時間をもっと短縮しよう」とか、もしくは「労働時間は増えてしまうが、景気を良くしてもっと皆で消費しよう」と言われれば話は分かるのですが、冒頭で述べたように「労働者の労働時間を減らしながら、浮いた時間で『消費』してもらおう」と言われても「?増えた消費に対する生産は誰がするの?」なんて思ってしまう訳です。

敢えていやらしい言い方をすれば、一部の大企業や公務員など「名のある場所で働く人たち」の労働時間が減り、その人たちが消費を行うが、その消費に対する生産を賄う為に、名も無き小さな企業で働く人たちの労働は過酷になるのではないか?などと思ってしまうのです。

おわりに

以上、冒頭の繰り返しになりますが、私はマクロ経済に関して全くの素人ですので、以上の記述は「素人の戯言」に過ぎませんので、ご了承下さい。

「後部座席」や「ちょっとした時間」でもシートベルトが必要な理由

はじめに

敢えて、何も調べずに、現在の私が思ったまま記しますので、以下の記述に、安全性や法律関連など完全なる正確性を有するかの確認は敢えてしておりませんので、最初にお断り致します。

私の立場

私の普段の行動は以下の通りです。

・自分がドライバーの場合、原則としてシートベルトを着用する。

・自分が同乗者の場合、その場所が助手席か後部座席かを問わず、原則としてシートベルトを着用する。

なお、「原則として」の意味ですが、言葉の通りですが、いわゆる「基本的には」などよりも強い意味でして、ようは「余程の事情が無い限り」というような意味です。

すなわち、「ちょっとした時間だから」などの理由で「着用しない」という選択は私には有り得ず、それこそ乗車時間が数分間であっても着用します。あくまで着用することが「原則」である訳です。

以下、思いついたことをいくつか記します。

「後部座席」でもシートベルトを着用する理由

・前の席(運転席や助手席)より後部座席のほうが「装着していなくても安全」という根拠を知らない。すなわち、前の席で安全上必要なものなのであれば、にも関わらず後部座席では不要もしくは意義が薄いというような根拠を知らないので、前の席で当たり前のように装着するシートベルトは、後部座席でも「当たり前」として装着している。

・「前の席」か「後部座席」かで法律で求められる「装着の必要性」は特に差が無いというのが私の認識である。

「ちょっとした時間」でもシートベルトを装着する理由

・乗車時間が「長いか短いか」と、万が一の事故の際の「被害の大小」の間には、相関関係は無いと思っているので、「ちょっとした時間=装着しなくても良い」という結論には、個人的にはどう考えても至らない為。

・乗車時間の「ちょっと」の度合い以上に、装着する為の所要時間は「ほんのちょっと」である為。

自分がドライバーの際には、同乗者にもシートベルトの装着をお願いする訳

・「ドライバー」と「同乗者」の間で、法律的な「装着の義務」の度合いには、基本的に差が無いと思っている為。

・ドライバーか同乗者かを問わず原則的に「装着しているほうが安全」と思っている為。

・自分はドライバーとしてシートベルトを装着し万が一の事故の際にはその恩恵にあずかるのに、同乗者は非装着の状態で危険に晒しながらクルマを走らせることは、倫理的に許されないように感じる為。

おわりに

以上、ドライバーの立場でも同乗者の立場でも「原則的に」シートベルトを着用している私が、普段から思っている(もしくは心の中で漠然と感じている)ことを記させて頂きました。

「鉄道マンのキセル行為」と「脱税行為」

以下の記事を読みました。

news.livedoor.com

この男性運転士は自らが「鉄道業界」で働いているにも関わらず、その「鉄道業界」に損害を与えるキセル行為を自ら繰り返していた訳で、すなわち「自分自身、もしくは自分の会社が損をしないのであれば、同業他社に損害を与えても良い」というような、極めて自己中心的な発想なのではないか、と個人的には思いました。

広い目で見て「どこの会社に関わらず鉄道業界全体において乗客や社会全体のモラルの低下によりキセル行為が『当たり前』の世の中になってしまえば、結局は自分の首を絞めることになる(ので自らが行うなどもってのほかだ)」というような公益性の観点とは正反対の、「極めて自己中心的な発想」のように思える訳です。

※ ※ ※ ※ ※

このような話は一般性があると思いまして、例えばお金にまつわる分かりやすい事例で言えば、税金に関して公益性などという難しい言葉を持ち出さなくとも普通に考えれば「国民の一人ひとりが自らの所得その他に応じた税金を支払わなくては、(極端に言えば皆が支払わなくなれば)社会の公的サービスが維持できなくなる」というのは自明の理ですが、「オレ一人がズルしたって”国”が何とかしてくれるし、それが”国”の責任だ」というように考えることが、私の思う「極めて自己中心的な発想」です。

このような思考の人はえてして「国」というものを何かの巨人のような対象に置き換えて考え現実逃避しているようにも思えるのですが、当たり前ながら国税その他の税金を収め社会サービスの原資を作っているのは、巨人でも何でもなく「一般国民」であり、またその中には「大富豪」も少しは居るでしょうが、圧倒的多数は「一般庶民」なのだと思います。

収めるべき人は頑張って税金を収めることにより社会が成り立ち、またそれを維持する為に同胞である普通の日本国民が汗して働き納税していると考えれば、間違っても「どうせバレないし脱税してやろう」なんて考えには至らないのではないか、と改めて思いました。

「餃子の王将」が日常にある幸せ

私(45歳男性)はフリーランスで自宅で仕事をしているので、基本的に外に出る用事がありません。

が、ずっと家にこもりっきりというのもどうかなと思うのと、運動不足にもなりますので、買い物など何か用事を作って徒歩で少し外に出る時がありまして、昼ごはんの「外食」として出る時もあります。

で、私が住んでいる場所は、徒歩圏にはそれほど多くのお店はありません。

徒歩圏には飲食店は「ほんの数軒」しか無いのですが、その内の一軒が何と、私が最も好きなお店の一つである「餃子の王将」なのです。

そんな訳で、昼に一人で外食で食べる際の「餃子の王将」率はかなり高く、行く頻度はかなり多いほうだと思うのですが、「飽きる」という感覚は全くありません。

若い時とは異なりそれほど「量」は多く要らないので、定食などはやめて単品で頼むことがほとんどで、最も頻度の多いものは、

天津飯+餃子1人前
・中華丼+餃子1人前

の二通りでして、少し頻度が落ちますが「天津チャーハン」「ニラレバ炒め」(と中ライス)もよく頼みます。

以上に書いたもの以外は本当に「たまに」しか頼みませんでして、大体が上記の中のいずれかを注文するのですが、上記のローテーションで「全く問題無い」という感じです。

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いつも書いているように私は「家族(妻と子供)」が大好きなほうだと自分では思っていますが、昼間に一人で「餃子の王将」で好きなものを食べる、というような部分も「人生の楽しみ」としては小さく無いのだろうと改めて思うと同時に、いつも美味しい料理を提供してくれる「餃子の王将」には感謝したいと改めて思いました。