kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「プレミアムフライデー」に感じる矛盾

はじめに

私はマクロ経済に関して全くの素人ですので、以下の記述は「素人の戯言」に過ぎないことを、最初に申し上げておきます。また、ちょっとだけ思った「素人の戯言」ですので、手短に記します。

プレミアムフライデー」とは?

報道を読んでの「プレミアムフライデー」に関する私の受け止め方は、

・労働者の就労時間を短くし労働環境を改善する
・今までより余分に仕事から解放された時間を食事や旅行などの「消費」に費やしてもらうことにより経済状況を好転させる(景気対策)

の二つを両立させるような政策、と理解しています。

プレミアムフライデー」に感じる矛盾

プレミアムフライデー」の恩恵を受ける人は確かに労働時間が短くなり労働環境が改善されるのかも知れませんが、そもそも「国民の皆が働く時間を減らしたら」景気は悪くなります。何故なら平たく言えば「生産量が減る」為です。

景気の良し悪しは基本的にGDP(国内総生産)の大小で測られ、そのGDPというのは「三面等価の原則」が成り立ちますが、私は素人なのでそのような難しい内容の解説は抜きにして、もっと平たく「常識的に普通に」考えた場合、

・景気が良くなる…消費者の「消費」が増え、それに比例して労働者の「労働量」も増える

・景気が悪くなる…上記の全く逆

だと私には思われる訳です。

従って何かの政策により「労働者の労働量が減少」すれば、それに比例して「消費者の消費量も減っている」ハズ(=景気が悪くなる)ですし、逆に何かの政策により「消費者の消費量が増えている」(=景気が良くなる)のであれば、それを賄う為に労働者全体の「労働量」は増えているハズだと思う訳です。

従って、「プレミアムフライデー」の効用を謳うのに、例えば「景気が悪くなる点は諦めるが、労働時間をもっと短縮しよう」とか、もしくは「労働時間は増えてしまうが、景気を良くしてもっと皆で消費しよう」と言われれば話は分かるのですが、冒頭で述べたように「労働者の労働時間を減らしながら、浮いた時間で『消費』してもらおう」と言われても「?増えた消費に対する生産は誰がするの?」なんて思ってしまう訳です。

敢えていやらしい言い方をすれば、一部の大企業や公務員など「名のある場所で働く人たち」の労働時間が減り、その人たちが消費を行うが、その消費に対する生産を賄う為に、名も無き小さな企業で働く人たちの労働は過酷になるのではないか?などと思ってしまうのです。

おわりに

以上、冒頭の繰り返しになりますが、私はマクロ経済に関して全くの素人ですので、以上の記述は「素人の戯言」に過ぎませんので、ご了承下さい。

「鉄道マンのキセル行為」と「脱税行為」

以下の記事を読みました。

news.livedoor.com

この男性運転士は自らが「鉄道業界」で働いているにも関わらず、その「鉄道業界」に損害を与えるキセル行為を自ら繰り返していた訳で、すなわち「自分自身、もしくは自分の会社が損をしないのであれば、同業他社に損害を与えても良い」というような、極めて自己中心的な発想なのではないか、と個人的には思いました。

広い目で見て「どこの会社に関わらず鉄道業界全体において乗客や社会全体のモラルの低下によりキセル行為が『当たり前』の世の中になってしまえば、結局は自分の首を絞めることになる(ので自らが行うなどもってのほかだ)」というような公益性の観点とは正反対の、「極めて自己中心的な発想」のように思える訳です。

※ ※ ※ ※ ※

このような話は一般性があると思いまして、例えばお金にまつわる分かりやすい事例で言えば、税金に関して公益性などという難しい言葉を持ち出さなくとも普通に考えれば「国民の一人ひとりが自らの所得その他に応じた税金を支払わなくては、(極端に言えば皆が支払わなくなれば)社会の公的サービスが維持できなくなる」というのは自明の理ですが、「オレ一人がズルしたって”国”が何とかしてくれるし、それが”国”の責任だ」というように考えることが、私の思う「極めて自己中心的な発想」です。

このような思考の人はえてして「国」というものを何かの巨人のような対象に置き換えて考え現実逃避しているようにも思えるのですが、当たり前ながら国税その他の税金を収め社会サービスの原資を作っているのは、巨人でも何でもなく「一般国民」であり、またその中には「大富豪」も少しは居るでしょうが、圧倒的多数は「一般庶民」なのだと思います。

収めるべき人は頑張って税金を収めることにより社会が成り立ち、またそれを維持する為に同胞である普通の日本国民が汗して働き納税していると考えれば、間違っても「どうせバレないし脱税してやろう」なんて考えには至らないのではないか、と改めて思いました。

「餃子の王将」が日常にある幸せ

私(45歳男性)はフリーランスで自宅で仕事をしているので、基本的に外に出る用事がありません。

が、ずっと家にこもりっきりというのもどうかなと思うのと、運動不足にもなりますので、買い物など何か用事を作って徒歩で少し外に出る時がありまして、昼ごはんの「外食」として出る時もあります。

で、私が住んでいる場所は、徒歩圏にはそれほど多くのお店はありません。

徒歩圏には飲食店は「ほんの数軒」しか無いのですが、その内の一軒が何と、私が最も好きなお店の一つである「餃子の王将」なのです。

そんな訳で、昼に一人で外食で食べる際の「餃子の王将」率はかなり高く、行く頻度はかなり多いほうだと思うのですが、「飽きる」という感覚は全くありません。

若い時とは異なりそれほど「量」は多く要らないので、定食などはやめて単品で頼むことがほとんどで、最も頻度の多いものは、

天津飯+餃子1人前
・中華丼+餃子1人前

の二通りでして、少し頻度が落ちますが「天津チャーハン」「ニラレバ炒め」(と中ライス)もよく頼みます。

以上に書いたもの以外は本当に「たまに」しか頼みませんでして、大体が上記の中のいずれかを注文するのですが、上記のローテーションで「全く問題無い」という感じです。

※ ※ ※ ※ ※

いつも書いているように私は「家族(妻と子供)」が大好きなほうだと自分では思っていますが、昼間に一人で「餃子の王将」で好きなものを食べる、というような部分も「人生の楽しみ」としては小さく無いのだろうと改めて思うと同時に、いつも美味しい料理を提供してくれる「餃子の王将」には感謝したいと改めて思いました。

「アイツらが結婚出来て、なんでオレだけ…」と考えなかった私

以下の記事を読みました。

zasshi.news.yahoo.co.jp

普段はあまり読まない感じの内容なのですが、何となく読んでみました。主題である「不倫」そのものに関しては全く興味が無いのですが、私は45歳男性ですが少し別の観点から(男も女も関係ないような観点から)、以下の囲みの部分が気になったので引用し、その後に所感を記します。

ちなみに、こうしたエピソードを紹介してくれた女性たちの容姿は、「学校ではクラスで3番程度」というレベルの容姿だ。彼女たちは普通の女子よりも自分がかわいいことを自覚しており、“男性は自分に夢中になって当然”という認識で生きてきている。

10代、20代とモテてきたから、自分は特別であるという感覚をいつまでも引きずっている。だから、20代後半になってモテなくなり、自分よりレベルが下と考えていた女性たちが結婚し始めると、焦る。すると、心に欠損感ができ、承認欲求が肥大化する。それが、他人の物を奪う=既婚者と恋愛関係を結ぶという行動になって表れることが多いのだ。

そして、恋愛相手の男性が自分に夢中にならなくなると、社会生活を破壊するようになってしまう。

確かに「モテた経験の無い」私には分からない

上記引用の中の特に、

『自分よりレベルが下と考えていた女性たちが結婚し始めると、焦る。すると、心に欠損感ができ、承認欲求が肥大化する。』

という部分なのですが、男女を問わず20代後半にもなって本当にこれだけ浅はかな思考に陥ってしまうような人って居るのだろうか、なんて純粋に思う訳ですが、確かに考えてみれば、私は人生において一度も「モテた」という経験が無い訳ですし、身近にそのような人が居るようなコミュニティに属していた経験も無い訳ですから、「そんな人おらんやろ」と思うも「やっぱり居るかも」と思うも、本当に「想像」でしか考えられないという当たり前の事実を、改めて考えさせられました。

確かに「モテた経験の無い」私は焦らなかった

私は一度もモテ期を迎えることなく、また恋愛経験も少ないまま30代になり、真剣に結婚したいと考えて相手を探し妻と知り合い結婚しました。

その当時(結婚前)の心情として「焦り」というものは確かにあったのかも知れませんが、それは他者との比較ではなく、純粋に自分の年齢などを考えての「焦り」だったのだろうと思います(あったとすれば)。

すなわち、周囲の友人知人や、仕事の関係の同世代の人たちが結婚していくのを見て「なんで、あいつらが結婚出来ているのに、オレは結婚出来ないんだ!」という感じでの「焦り」の心情は全く無い訳です。何故なら私は「モテた経験が無い」からです。

すなわち、周囲の普通の人たち(外見が良かったり話が面白かったり価値観が普通だったりして普通に恋愛しているような人たち)が結婚していく中で自分が取り残されてもそれは「当たり前」という感覚です。

従って「焦り」が生じるにしても、それは「モテない自分が『いつかは自然な出会いがあるかも』なんて待っていて運命の出会いなんてある訳がないし、自ら積極的に頑張らないと結婚になんて辿りつける訳が無いので、そろそろ頑張らなきゃ」というような心情だったのだろうと今になっては思います。

そして、「アイツらが結婚出来て、なんでオレだけ…」みたいな心情に陥るよりかは、前向きに頑張れたのかも知れないな、と今になって改めて思いました。

おわりに

今回は詳しく書かないのですが、何でもかんでも「他者との比較など意味が無い。自分は自分らしく生きていけば良い。」と割り切って考えることは必ずしも正しいことでは無いと思っています。すなわち、事柄によっては「他者との比較」(社会の中での客観的な評価)を意識すべき事柄もあると思う、というような意味です。

しかしながら、結婚に際して「アイツらが結婚出来て、なんでオレだけ…」みたいな思いを私が抱くことなく、また時期や相手などを考えるベースが「他者との比較」ではなく「自分にとって」であったことは、私に限って言えば良いことはあっても悪いことは何も無かったのだろうと、そのように改めて思いました。

 

SNSやブログ等と、不適切写真の撮影

女性芸能人の方二名が「線路へ侵入」した写真をブログに投稿して騒動になり、最終的には書類送検されたという騒動がありました。

不適切な投稿と言っても、いわゆる「バカッター」と呼ばれるような、敢えて公序良俗に反するような迷惑行為を面白がって行い写真や動画の撮影を行うような種類のものと比べると、今回の案件は少し質が異なるように思います。

と言っても、このお二人の内の一人の方の記者会見のコメントでは記念撮影だったというようなことを話されていたようですが、本当に純粋な「記念撮影」なのだろうか?と思わなくもありません。

すなわち、仮にSNSやブログが無い時代に、本当に個人的に記録として残しておくだけの目的の写真を撮るのに、五十代にもなった「大の大人」が、わざわざ線路に立ち入ってまで「記念撮影」を行うものだろうか?と単純に思う訳です。

まあ、本当にそのような「純粋な気持ち」での行動だったかも知れませんし、仮にそうであれば私とはそういう部分での考え方(価値観)が全く異なる方々なのだろう、としか言いようが無いのですが、今回の件に限らず、いわゆる「バカッター」等ではなく「ついうっかり」のようなケースにおいては、本来的にはそのような行為には至らなかったであろう人たちが、「SNSやブログ等への投稿」を意識するあまり、いわゆる「行き過ぎ」が生じてしまうようなことも往々にしてあるのではないか?と、そのようなことを改めて思いました。