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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

「私にしか出来ない」(他の人では代わりが出来ない)仕事をする、ということの意味

(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

本日も入院中の病床より更新致します。手術の後遺症である「めまい」は、昨日よりも少し良くなった感じですが若干という感じです。

最初に書きますが、以下、フリーランスの立場で記していますが、本質的な部分はサラリーマンでも似たようなものなのだろうと思っています。

さて、いつも書いています通り、私は仕事を自営(フリーランス)でやっていますが(現在九年目)、サラリーマン時代も大差は無かった話なのですが、現在のフリーランスの身として「仕事を失わないように」(=いつまでも仕事の依頼が途切れないように)する為に心がけていることがいくつかあります。

一つは相手の満足度が高くなるような「良い仕事」をするという点で、これは極めて分かりやすい話のように思います。「間違いの少なさ」「時間の早さ」「説明資料の丁寧さ」と言ったようなものです(もちろん他にも山ほどあります)。

もう一つ、同等かそれ以上に大切に考えているのが、「私にしか出来ない」(他の人では代わりが出来ない)仕事をするというものです。

この部分は詳しく書けないのですが、仕事の依頼のされ方や内容、金額(単価)などから考えて、そのような部分もかなり評価されているという実感があります。

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が、ではその仕事に関しては私が居なければ、真の意味で「絶対にダメか」と考えたら、それは有り得ないでしょう。

現に、今回の入院の原因の病気が発覚するずっと前から長期でやっていた仕事で終わり切れないものは、他社さん(よく知っている同業者さん)に引き継いでもらいました。

手術の予後が良ければ「少し(1ヶ月ほど)休む」感じで仕事を手放す必要までは無かったのですが、予後が悪ければ長期間復活出来ない可能性もある訳ですし、今回の病気の内容を考えれば予後が悪い可能性だって普通に有り得ると思ってましたし、にも関わらず仕事を手放さないまま手術を受けるなんて無責任だと思いましたので、顧客にその旨を話し、同業者さんに引き継いでもらったのでした。

そんな訳で、仕事や何かに関して「オレが居なければダメだろう」なんて本人が思い込んでいたとしても、大抵のことは「居ないなら居ないで、何とかなる」場合がほとんどなのだろうと今回改めて思いました。

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ただし、「もし予後が良かったら5月頃から」という感じの仕事の話が入院前に既に何件かありましたので、それはフリーランスの身として「仕事が途切れることなく稼いで食っていく」という観点からは大変有り難い話ですので、常日頃において「私にしか出来ない(他の人では代わりが出来ない)仕事をする」と意識し工夫し努力することは大切なのだろうと、それは今でもその通りだと思っています。

そして、そういう仕事をやっているという意識の下に、出来るだけ仕事に穴を開けず納期を守るなどをずっと実践していれば、必ず「見ている人は見ている」のだろうと思います。

そして、それでも「どうしようもない」ような、それこそ例えば手術入院が必要な病気が発覚した時くらいは、「こんな時くらいは仕事は残った人たちで何とかしてくれるだろう」と甘えて良いように思いますし、そういう時限定でそこに甘えても、常日頃の「甘えを一切感じさせないプロの仕事」の実践の継続がベースにある限り、仕事の「信用」は簡単には途切れないのだろうと思いますし、そういう観点からも「常日頃の仕事に対する姿勢」は大切なのだろうと改めて思いました。

大病(真珠腫性中耳炎)をして改めて思った、「妻」の有り難さと「子供」の可愛さ

(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

自身の病気の手術は数日前に無事に終わりまして、現在、ベッド上で安静中です。

病気の件はまた改めて詳しく記しますが(予定)、真珠腫性中耳炎という病気でして、それほど簡単な内容では無い上に、病状の程度も酷い部類だったらしく、手術は全身麻酔で六時間ほど掛かりました。

手術後に目が覚めてから、意識はずっとあるのですが(基本的に記憶は残っています)、耳の奥底を触り(耳たぶの後ろを切開して骨に穴を開け、そこから耳の奥に入ります)、一部の欠損を認めながら「悪いモノ」を除去するような手術ですので、後遺症として酷い「めまい」がありました。

それは日常生活で時々目がまわったりするものとは全く次元が異なりまして、最初はベッドに寝たきりで「少し喋れる程度」の状態でした。しかし数日で急激に回復しまして(数日で急激に回復するのは想定通りです)、現在は歩きさえしなければ(ベッド上で体を動かす程度なら)、めまいはほとんど感じないところまで回復しています。

なお、今は歩こうと立ち上がると強いめまいがして普通には歩けないのですが、これも大半は「術後の後遺症」ということである程度は回復するだろうと考えてはいますが、手術前の状態まで完全に回復することは無いだろうと覚悟もしています(耳の中の一部機能を失っているため)。

と言う訳で、大好きなクルマの運転が出来るようにまで回復出来るかな?なんて不安に思ったりもするのですが、今このブログが書けるくらいなので、自宅でフリーランスでやっている仕事(ほぼ全てPCでの作業)のほうは大方は大丈夫だろうと少し楽観的に考えています。

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手術が終わってから、妻は今のところ毎日病室に来てくれています。家の用事や子供の世話もしながらなのに、有難いなと思っています。

身の回りの世話をしてくれたりという部分ももちろん有難いのですが、やっぱり精神面の部分というか、「オレは一人きりで頑張っているのではなく、この人と二人で頑張って生きていくのだな」と感じられるような部分に有り難さを感じたのだろうと思います。

特に手術が終わって一日目の頃は、意識は完璧に普通に戻っているのに「めまいはメチャクチャ強い」という状態なので、一体どの程度まで回復出来るのか凄く不安だったのですが、そんな際の「妻のサポート」は大変有り難かったのだと思います。

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で、私の顔色を見ながら妻は話しかけてくれるのですが、日常的な生活の話も多いのですが、そんな話の中の一つに、息子(小学四年生)が妻のお手製オムライスをメチャクチャ楽しみにしていて、その日の夕食で作ったら息子は山盛り食べた、というような話がありました。

そのオムライスの姿と、美味そうに食べる息子の顔が思い浮かんだ時、涙が出そうな感じの幸福感を感じました。

「自分は幸せな結婚をして幸せな家族と生きているのだな」と改めて思いまして、それは当たり前のことのようで、大変有り難い人生の幸福なのだろうと改めて思いました。

「働く」ことの意味。何故に私は「働きたい」のか。

前々回から書いています通り、現在入院中でして、病床にてケータイより更新しています。大きめの手術の為の事前入院中でして、明日、手術の予定です。手術が実施されたらブログの更新は止まりますので、ご了承のほど宜しくお願い致します。(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

全く仕事をしていない、ということの意味

さて、当たり前なのですが、今は入院中なので、仕事は全くしていません。ここで、「全く仕事をしていない」ということの意味を考えます。

私はお医者さんや看護師さんから医療サービスを受けています。医療は普通の「商売」とは違うのかも知れませんが、平たく書けば「病気を治して欲しい」という私の「需要」に対するサービスを、お医者さんや看護師さんが「供給」してくれている訳です。

他にも、日用品を揃える為に売店に行ったり、三度の食事も運ばれてきますが、それらも全て私の「需要」に対するサービスを相手が「供給」してくれています。

もちろん、私はそれに対してお金を支払っていますし、医療費に関しては税金的な話も絡んできますが、重要なポイントは、例えば私がどれだけ大金持ちで多くのお金を支払おうと、もしくは日本という国の中に税金等がどれだけあろうと、「需要」に対するサービスを「供給」してくれる「人」(平たく言えば労働者)が居なければ、必要なサービスを受けることは出来ないのです。

これが「経済」の基本中の基本なのだと私は思っています。

そして現在入院中の私は、一切の仕事をしていないので、他の全ての日本国民が欲するサービス(需要)に対する「供給」行為を一切行っていないことになります。すなわち「日本経済」の「供給面」に私は一切参加出来ていない訳です。

これが、私が考える「全く仕事をしていない」意味となります。

私にとって「働く」とは

私は基本的に働くことが好きです。

一番の理由は、働き方はサラリーマンからフリーランスに変わっていますが内容自体は新卒から長年ずっと同じ仕事をしているのですが、その仕事自体が好きで飽きることなくずっと面白いからだと思っています。

また、家族(妻子)もいますし生活費を稼ぐという意味ももちろん大きいです。

しかしながら、必要な生活費を大きく超えても多忙を極めて働き続けているのは、上で述べた「日本経済の供給側」という観点で見たときに、せっかく仕事の内容自体も好きで、かつ下で述べる通り私の技術に対する「大きな需要」も存在する訳だから、もちろん家族との時間の確保や健康維持とのバランスを保ちながらですが、「日本経済の供給側」として一生懸命働きたい、というような思いも心の奥底にはあるように思います。

プロとしての「仕事」と、趣味の歴然とした違い

誰かの「需要」に応えるという意味では、そのサービスを供給するのが有料(仕事でやっている)でも無料(趣味でやっている)でも同じことではないか?という部分について以下に記していきます。

私はブログをずっと書いていまして、仕事や家族との時間ではない「趣味」の中では、一番時間を費やしているように思います。

しかしながら上で述べた「日本経済」の枠組みの中での「需要」に対する「供給」とは少し違うことは、以下のような思考実験によりすぐに分かります。

すなわち、僅かながらも誰かが読んで下さるのでブログを書いている訳ですし、僅かながらも「読みたいという需要」がある訳ですが、それは読むことに対する対価が「無料」である前提の話です。仮に1ヶ月の売上が百円にしかならない程度の低額であっても「購読料」を設定すれば、たちまち「需要」はゼロに近づくでしょう。

逆に、現在フリーランスでやっている仕事というのは、上記の「一万倍」の料金を設定しても、やりきれなくて断るほど仕事が来ます。

同業の誰もがそれだけ稼げる訳ではありませんが、かと言って自分の料金設定が高過ぎるとも思っていません。何故ならフリーランスになって既に八年以上やってますので、料金が高過ぎるのであれば「需要」が無くなってとっくに仕事を失っているハズだと思う為です。すなわち、それだけ貰っても相手に「高い」と思われないだけの精度や処理速度等を保てているという自信がある訳です。

ブログを書くことと仕事をすることを比べて、自分にとってどちらが大切な時間であるか等とは無関係に、あくまで「相手の思い」(顧客からの需要)により、両者には「単なる趣味」なのか「プロの仕事」なのか歴然とした違いがあるのだと思っています。

稼ぎは「税金」の大元でもある

そして、趣味の範疇で無料でやり取りされている事柄は「税金」を生み出しませんが、普通に稼ぐ仕事は「税金」を生み出しますし、更に言えば日本は累進課税ですので稼ぎが多くなればなるほど、その金額の上昇率以上に税額は大きくなります(税率が上がる為)。

その「税金」というものが医療や国防などの公的サービスの原資であることを考えると、「趣味の範疇の行い」と「稼ぎを伴う仕事」というものには、そのような観点からも歴然とした違いがあるように思っています。

おわりに

そんな訳で、明日の手術が無事に終わって、普通に働ける程度には回復出来て、また普通に働きたいな、という風に考えている次第です。

結婚するのに一番大事なこと

前回のブログで、入院及び手術の為にブログの更新が途切れると書いたのですが、昨日入院しまして手術は数日後なのですが、それまでは事前準備としての点滴くらいしかやることがなく、またベッドでケータイも(通話で無ければ)普通に使って良いとのことでしたので、手術まではケータイより更新します。(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

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下の記事を読みました。

news.infoseek.co.jp

最初に、私はてっきり結婚「詐欺」というのは、結婚話を利用して相手から金品を巻き上げる行為を指すのだと思っていたのですが、記事のケースでは、金品を「巻き上げる」という感じは全くしなくて(金品の被害の描写は結婚式や指輪の前金及び記念写真の代金の負担のみ)、どちらかと言えば「相手をもてあそんでいる」という感じの悪事だと思ったのですが、そういう形態の場合でも結婚「詐欺」と呼ぶものなのか、と改めて思いました。

尚、上記は単なる「呼び方」に関する所感であり、他の意味(罪の大小など)はありません。

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さて、ここからが本題なのですが、記事に書かれている被害の形態を流れに沿って簡単にまとめると以下の通りです(女性が被害者)。

(1)男(自称34才)と女性(37才)が婚活アプリで出会う。
(2)男が差し出したのは有名企業の名刺。
(3)三回目に会った時に、結婚を前提に付き合うという話となる。
(4)その三ヶ月後に男を女性の両親に紹介し、そのすぐ後には正月の集まりの場所で女性の親戚にも紹介する。
(5)ハワイでの挙式の予約。指輪の注文。いずれも前金を女性が支払い。また、和装の記念写真を撮影し、費用は女性が支払い。
(6)逆に男の近親者(妹や親戚)には、女性は会わせてもらえない。男の両親は亡くなっているという話で(出会った当初から)、二人で墓参りに行く。
(7)男から、結婚式を延期して欲しいと申し入れがある。女性は、親族などは予定に合わせて既に動いていると抵抗し、それを機に二人の関係は悪化し、男は女性に対して暴言を吐くようになる。
(8)女性はその事を母親に相談。母親は少し我慢するように勧め、母親が間に入って関係は少し修復して結婚式も延期で決まったが、その後に結局は関係は破綻した。
(9)別れた後に弁護士を雇って男を調べたら、既婚であることや年齢詐称が発覚。

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私が率直に思ったのは、「男が実は既婚であったことや年齢を大幅に偽っていたこと」と、被害の本質は無関係ではないか?ということです。

すなわち、私の解釈ですが、結婚式など準備を進めたり、両親や親戚に男を紹介してしまってから、男の態度が豹変し(聞くに耐えないような)暴言を吐くようになってしまい、女性としても引くに引けないし困った、という部分が被害の本質なのであって、例えば男が本当に独身で34才であっても「結婚する気は無いけど婚活アプリで女を引っかけて遊んでやろう」というような考えで女性が被害にあったとしても、被害の本質は変わらないように私には感じられました。

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匿名記事なので、女性に対して批判的なことも書くのですが、若すぎるというような年齢でもありませんし、そこまで「相手の素性」が分からないものなのだろうか?と率直に思います。言い換えれば、最初に出会ってから、会話その他で相手の素性(平たく言えばどのような人間性か)を「本気で知ろう」というような意識があったのだろうか?と思う訳です。

相手の男が詐欺の「プロ」ならともかく、記事の最後のほうで記されていますが、裁判を経て最終的には長期化せずに途中で男のほうが全面謝罪と現金一括で二百万円を支払って終わりになっていることを考えると、間違っても「プロの詐欺師」などでは無いように思われますし、なおのこと上で述べたように感じるのだと思います。

他にも、相手の男の態度が豹変した後に、「母親の意見」で自らの態度を決めている点もどうなのかな、と感じました。

もちろん、結婚に際して親のことを全く勘案しなくて良いとか、そういう風には全く思いませんが、「暴言を吐くように態度が豹変してしまった」相手と夫婦生活を続けて行けるかどうかは百パーセント「自分の気持ちと責任」で決める話なのであって、この部分に関しては、親の気持ちや世間体を配慮するような話では無いように思いました。

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はっきり言って、相手の勤め先とか年収とか、両親が健在かとか、そのような「条件」を過度に重視し「相手がどのような人間性なのか」は深く見ずに結婚を「決める」に至ってしまうのであれば、いわゆる「お見合い」のほうが、間に人が入ってくれる分だけ相手の信頼性が担保されますので良いように改めて思いました。

現在の「婚活アプリ」などの状況は私には全く分かりませんが、前々から書いています通り、私は十年以上前に「出会い系サイト」(結婚や真面目な恋愛の相手探しと宣伝しているサイト)で妻と知り合い結婚していますが、どれだけ大手であっても、有名な雑誌に広告が載っていても、運営会社の人との面談等がある訳ではなく機械的に「登録」出来るようなシステムなのであれば、少なからず「好ましからざる人間」が混じるのは防ぎようが無いように思います。

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当時私は普段の生活において結婚相手に「自然」に出会える可能性などゼロだと自ら確信的に思っていた訳ですが、いわゆる「お見合い」(結婚相談所含む)ではなく出会い系サイトを選んだのは、体調が優れない部分があったり、また当時は既に普通のサラリーマンでは無かったので、そのようなことから結婚相談所はハードルが高いというような気持ちもあったのかも知れませんが(この部分は記憶に無いので想像で書いています)、誰か(=お見合い等の仲介者)に頼る前に最後に何とか「自力」で頑張りたい、というような思いで出会い系サイトを選んだと記憶しています。

そんな訳で、妻と知り合った時には上で書いた体調が優れない件(当時は病院に行って無かったが後に妻の勧めで病院に行きパニック障害と判明)や普通のサラリーマンで無いことや他にもここでは書けないような負の面も洗いざらい話しましたし、逆に仕事の技術には絶対に自信を持っていて病気で働けなくなったりでもしない限り食うに困らない程度は絶対に稼げるし、また自分のお金(銀行口座など)は要らないし稼いだお金は全て渡すとか、そんな話も知り合ってすぐの段階でしていたと思います。

そのように自分のことを洗いざらい喋っていると、相手(妻)も同様に喋ってくれて、二人で深く喋り合ってお互いのことを深く知り合ったのだと思いますし、この部分は「結婚」する上で最も大事なことの内の一つだったのだろうと改めて思いました。

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上で「喋り合った」と記しているのは実際の会話の他にメールも含みます。

実際に顔を合わす前にメールだけでやり取りしていた期間が1ヶ月ほどあったと記憶しているのですが、実際に顔を合わせてからは十日ほどで同棲し三ヶ月ほどで結婚しました(入籍のみで結婚式は更に半年後に近親者のみでやりました)。それから十年以上経ちますが、今まで大きなケンカも無く平穏に過ごしています。

ブログの更新を休止します(入院、手術の為)

いつもお読み頂いている皆様、ありがとうございます。

タイトルの通りなのですが、明日から入院しますので、暫くの間、ブログの更新を休止致します。

病気は「真珠腫性中耳炎」という耳の病気です。十五年ほど前に同じ病気で一度、手術をしており、それの再発です。

入院期間は二週間ほどの予定です。予後がどのようなものになるか分かりませんので、ブログ更新の再開時期は「未定」となります。

また、承認や返信等の管理が行えないので、コメント欄は閉じさせて頂きました。

以上です。宜しくお願い致します。