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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「サラリーマン」「フリーランス」というのは「立場」の違いに過ぎない。

(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

本日も入院中の病床にてケータイより更新致します。

「立場」と「仕事内容」は別

永遠に「サラリーマン」なんて嫌だ。いつか独立して「フリーランス」になりたい!

と考える人が居たとして、この意見は「立場」(働く上でのたち位置)に言及しているだけで、「仕事」そのものの内容には全く言及されていません。

あなたの仕事は「サラリーマン」?

新卒でも中途でも、「サラリーマン」(正社員)になりたい人が居たとして、面接で「どんな仕事がしたいのか」と聞かれて、「サラリーマンがしたいです」なんて答えたら、相手からしたら「?」となるような気がします。

上記は少し極端ですが、例えば中途採用の面接で、「安定した給料や立場が欲しい」などと訴えても、私が聞く側だったら「それは完全にあなたの都合を述べているだけで、あなたがウチの会社に入って(もしくは社会という枠組みの中で)何が出来るのか何も言ってない」と感じるだろうと思います。

「私はこういう仕事が得意でして、また性格的には安定思考なので、正社員の立場としての落ち着いた環境のほうが向いており、そういう環境でこういう仕事をさせて頂けたら、最低でもこれ程度の生産は可能と考えています」

みたいな言い方が、「立場」を意味する「サラリーマン」(正社員)を目指したい気持ちと、実際に自分が手を動かす「仕事」の両方を意識した言い方なのだろうと思います。

相手が欲しいのは「仕事」をする力

上では「サラリーマン」を例に書きましたが、逆に「フリーランス」でも根本的には全く同じ話だと思います。

最終的に商品やサービス等を受け取りお金を支払ってくれる「顧客」からしたら、その生産者が「サラリーマン」なのか「フリーランス」なのかなど基本的には「どーでもよい」話であり、原則的に求められるのは「仕事をする力」であることは自明であるように思っています。

フリーランスを目指す場合の話

上で述べたことを踏まえると、「フリーランス」を目指す場合というのは、サラリーマンから同業で転身するのか、もしくは全く別の仕事を始めるのかを問わず、

(1)その仕事を一人でこなせる技術が自分にあるか
(2)自分と顧客を結ぶプラットフォームが構築出来るか(既存である場合は参入出来るか)
(3)絵空事ではなくリアルに考えた時に自分に対する「需要」が想像出来るか

とか、他にも色々思案した上で、自分の特性を考えたら、サラリーマンとして同じような仕事をした場合と比べて最低でも同等かそれ以上の生産物(サービス)を顧客に届けることが出来るからこそ「フリーランス」を目指す、というのが本来的な姿であるように思います。

まあ、それ(サラリーマンとして働いた時の同等以上の生産)は少し理想論過ぎかも知れませんが、平たく言えば「人並み」には稼げる見立てを持って「フリーランス」を目指すのなら普通の社会人の行動だと思いますが、何の見通しも無いのに「とにかく社畜はいやだ」みたいな感じでサラリーマンを辞めてしまって「何か自分でも出来るフリーランスって無いかな?」みたいな感じで進んでも、「人並みには稼げずに終わる」という結論に至ってしまう可能性が極めて高いように思いますし、そういう振舞いは社会人としてどうなのかな?と個人的にはそのように思います。

おわりに

以前にも書いたことがありますが、私は現在のフリーランスになる前は小さな事務所に勤めてましたが(歩合制みたいな感じでかなり高給でした)、ある夜に酒に酔ってその勢いで妻に「辞める」宣言をして翌日に辞表を出しましたが、そんな私でも上記(1)~(3)くらいは「確信」を持って判断しています。

それでフリーランスになり、現在は九年目ですが、ずっと順調に推移しています。

息子が見舞いに来てくれて、一週間ぶりに会って思ったこと

(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

本日も入院中の病床にてケータイより更新致します。

手術をしてから一週間ほど経ちました。手術以降、妻は毎日来てくれていますが、息子は学校があるので来ていませんでした(現在小学四年生)。ちなみに自宅と病院はけっこう遠く、クルマで渋滞が無くても一時間程度、混んでる時は一時間半ほど掛かります。難しい手術ということで、「大阪府下ならここでしょう」みたいな一択という感じで紹介された病院なのです。

で、昨日は日曜日だったので、妻と一緒に息子も来てくれました。

「大きな手術を受けた」という特殊な環境ではありましたが、息子と会って居なかった「期間」としては一週間ほどでしか無かった訳ですが、それでも顔を見た時は「やっと会えた」みたいに思いました。

それは、普段の私はフリーランスで自宅で仕事が出来ているので、どれだけ仕事が忙しい時期でも息子とすれ違い生活になってしまい顔を合わさないみたいなことは全く無いし(原則的に夕食は皆で揃って食べます)、また当然ながら転勤(単身赴任)等もありませんので、すなわち「息子と(妻とも同じですが)毎日顔を合わし会話をすることが、当たり前」の日常を送れていることの証左であるように思えました。

家族との距離感についてどの程度が心地よいのかは人それぞれなのかも知れませんが、私は普通に毎日会話や食事をしたいタイプですので、フリーランスの仕事が順調で上で述べたような生活を送れていることの有り難さを再認識した次第です。

※ ※ ※ ※ ※

息子が私と遊ぼうと持参したのが、ドラえもんボードゲームでした。日本地図上での「すごろく」みたいなやつの、小さい判のほうです。

と言う訳で、術後の後遺症はかなり改善したとは言え、まだ真っ直ぐ立って歩けないほどの「めまい」は残っているのですが、頭が大きく揺れないように注意しながら、息子とゲームで遊んだのでした。さすがに二回目は勘弁してもらいましたが(笑)。ちなみに部屋は個室です。

※ ※ ※ ※ ※

そのゲームですが、息子がまだ幼稚園児だった頃に、私が買い与えたものです。

その頃はよくショッピングモールなどに行った際に、妻には一人でゆっくり買い物をしてもらって、私は息子を連れて二人で何か食べたり公園に行ったりして過ごす、というパターンが多かったのですが、そんな際にこのゲームを買ったのでした。

息子も今では既に小学四年生ですので、このゲームを買ってから何年もの月日が過ぎている訳ですが、それでもこんな時に息子が自ら思い出して持参してきてくれた訳ですから、そのことに関しても率直に嬉しく感じました。

「自動ブレーキ」の「試し」で事故を起こすなど有り得ないと思った

(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

本日も入院中の病床にてケータイより更新致します。

以下の記事を読みました。URLとタイトルのみ引用致します。

〈記事の紹介〉

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/401244

自動ブレーキ作動せず事故 日産販売店長ら書類送検 千葉県警、全国初

〈紹介終わり〉

事故の概要を平たく書いておくと、客が新車試乗中に、同乗していた営業マンが、停車した前車に対して、自動ブレーキで勝手に止まるからそれを試す為にブレーキを踏むなと運転中の客に指示し、運転中の客がそれに従ったところ、自動ブレーキは作動せず前車に衝突し、相手に怪我を負わせたというような内容となります。

※ ※ ※ ※ ※

止まるか止まらないか「試そう」と安全な場所でマットなどを相手にやるのなら話は分かりますが、今回はなんと「公道」で普通に「人」が乗っているクルマ相手にそれをやっている訳で、指示するほうも従うほうも、本当に「頭がおかしいのではないか?」と思ってしまうくらい非常識な行いだと、個人的にはそのように思いました。

※ ※ ※ ※ ※

関連することで思ったのは、クルマどうしの衝突の場合でも、「その先には生身の人間が居る」のは当たり前の事実なのですが、その「当たり前」が直感で(肌で)感じることが出来ない人というのが一定数居るのかも知れないと、そのように思いました。

今回の件なら、相手がクルマではなく歩行者(生身の人間)だったら、さすがに「試す」なんてしないように思いましたし、相手がクルマであっても中には「衝突すれば簡単にダメージを負ってしまう生身の人間」が居るのだと肌で感じていれば、今回のような事態には至らないのではないかと、そのように思う訳です。

他にも、例えばシートベルトの大切さについて今までにも何度か記したことがありますが、特に後部座席の場合は今でも「装着しない」人って凄く多いという印象なのですが、これも事故が起こった際には、シートベルトをしていない人は席から投げ出され、室内のシートやガラスなどに頭を強打したりするかも知れないなんて「普通に起こり得る」と言えるほど簡単に想定出来る事態だと思うのですが、これを直感で(肌感覚で)感じることが無いからこそ、例えば小さな我が子をシートベルト装着無しで同乗させながらハンドルを握ったりすることが出来るのかも知れないな、と今回改めて思いました。

※ ※ ※ ※ ※

私に関して、今回の手術の後遺症である「めまい」がどこまで改善されるのかは分かりませんが、クルマを運転出来るまで復活出来てまた運転出来る日が来たら、気持ちを引き締めなおして安全運転を続けていきたいと、そのように改めて思いました。

フリーランス九年目の私が「サラリーマンを辞める」意味を考えてみた。

(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

本日も入院中の病床にてケータイより更新致します。

パッとしないサラリーマンが独立すればパッと出来るのか?

サラリーマンなんてやっていても、売り上げたお金の大半は会社に搾取されるし、忙しいばかりで時間的な余裕は無いし、自由も無ければ面白みも無いし、ありきたりの人生だし、良いことなんて何もない!

なんて言いながら独立自営なり起業なりしてみても、成功することは(もちろん可能性としてゼロでは無いが)難しいケースが多いのでは無いか?と個人的にはそのように思います。

何故なら、独立自営なり起業なりして成功出来るような才覚の持ち主なら、立場がサラリーマンであっても、「サラリーマンにも関わらずあんなに自由に(広い裁量を与えられて)仕事が出来るのか」「学歴とか会社の規模からは考えられないような年収だね」みたいに周囲からは思われるようなサラリーマンになっているように思いますし、間違っても「ありきたりな、パッとしないサラリーマン」には成り得ないように単純に思います。

なんせ会社から見れば、辞めて同業で開業されたり同業他社に転職されたりしたら「脅威の敵」になる人間である訳ですから、「搾取の対象」みたいな扱いには成り得ないように思うのです。

そして、実際に独立自営なり起業なりして大きく成功している人の大半は(と言うかほとんどは)そういう「サラリーマン時代から優れていた人」なのだろうと、個人的にはそのように思っています。

優先されるべきは「顧客の都合」

世の中の「需要」に対してサービス等を提供出来る技術等を持っているとして、需要を発し金銭を支払ってくれる「顧客」にとっては、サービス提供者がサラリーマンなのか何なのかなど「どーでもよい話」で、勘案するのは値段とか、サービスを受けたい時にすぐに受けられるか(どれだけ待たされるか)とか、当たり前なのですが「顧客の都合」の話になります。

従って、例えば「サラリーマンとして働くよりも、独立したほうが、顧客に対して質の高いサービスを、もっと安く、もっと早く提供出来るハズだ」と考えて独立自営なり起業なりして、そしてその通り実践できれば成功出来るでしょうし、逆に顧客のこととか、そもそも需要があるのかとか、そのようなことを深く考えずに甘い見通しで、「とにかくサラリーマンを辞めたい」みたいな自分の都合で独立自営なり起業なりしてみても、それが失敗に終わってしまっても「当たり前の話」なのだろうと、個人的にはそのように思っています。

ギリギリ一人で細々と食っていく意味

大した需要が無くても「一人で細々と食っていく」程度なら稼げるからとサラリーマンを辞めて独立する人生はアリなのかも知れません。

ただし、いつも書きますが基本的に収入と、その人の納税額は比例関係にありますので(累進課税なので比例以上です)、税金というのが医療や国防など極めて大切な公的サービスの原資であることを考えれば、「一人で細々と食っていく」程度しか稼げず納税額もミニマムの人が、普通にサラリーマンをして平均的な所得を稼ぎ平均的に納税している人に対して「いつまでサラリーマンなんてやってるの?」的な目線で何か言ったりするのは、少し違うかな?と個人的にはそのように思っています。

おわりに(私の場合)

と、何となく「サラリーマンを辞める」ことに関して否定的に聞こえたかも知れませんが、なんせ私自身がフリーランスになって既に九年目ですので、「サラリーマンを辞める」生き方を否定したい気持ちは全くありません。

ただ、安直な判断、甘い見通しで「大して仕事も稼ぎも無い」みたいな状況に陥ってまでも「サラリーマン」というのは無理して辞めるべき生き方なのか?と考えると、個人的にはそのようには思いませんし、サラリーマンとフリーランスのどちらが上とか下とかそのような考えも全くありません。

もちろん自分の性格にはフリーランスのほうが合っていて変なストレスも無いのですが、それ以前の大前提として、

・サラリーマンの時よりも稼げている

・仕事の特性上、当方がフリーランスでも顧客に不都合は何もない

から続けている訳であり、社会情勢の変化により上の前提が大きく崩れるようなことがあれば、それは私の働き方も「見直しの対象」になるのだろうと思っています。

妻子にとっての「夫・父親」は自分しか居ないという話

(2017/04/19追記:PCにて見栄えなど修正しました(追記終わり))。

本日も入院中の病床にてケータイより更新致します。

前回のブログでは、仕事に関して、

「私にしか出来ない」(他の人では代わりが出来ない)仕事をする

というような意識は大切だが、究極的に言えば、どれだけ「オレが居ないとダメだ」なんて思っていても、ほとんどのケースにおいては「居ないなら居ないで何とかなる」ものではないか?と書きました。

従って例えば手術入院が必要な病気になるなどした時くらいは周囲に甘える形で「仕事に穴を開けて」も良いように思いますし、またそういうことがあっても仕事の「信用」が途切れないようにするという観点からは、元気な日常時においては、高い意識で良い仕事を続けておき、相手から「代わりはそうそう居ない」「事情があって離脱した場合でも早く戻って欲しい」と思われるような仕事を続けておくことが大切なのだろうと思います。

どちらにしても、余程特殊な仕事でもない限り、究極的には「居ないなら居ないで何とかなる」のだろうと思います。

※ ※ ※ ※ ※

フリーランスの仕事を長年続けてきて、今回の手術入院で仕事の「穴を開ける」際に上で述べたようなことを思ったのですが、仕事とは全く別にプライベートでは私は妻にとっての「夫」であり息子にとっての「父親」である訳ですが、こちらに関しては仕事のように「代わり」が居る訳では決してなく、原則的に「私しか居ない」ということに改めて気づきました。

考えてみれば「極めて当たり前の話」なのですが、入院という「家族と強制的に離れて過ごす出来事」を経験して、改めて強く認識したのだと思います。

息子はまだ小学四年生ですし、「自分の責任は重大だな」みたいな気持ちもゼロでは無いのかも知れませんが、基本的には「自分のような男でも、そんな家族(妻子)を持つことが出来ている訳だから、有り難い話だな」というような思いは常日頃から持っていますが、今回のことでそのような部分も「より深く実感した」のかも知れません。

手術の後遺症の「めまい」がどの程度まで回復するのかはまだ分かりませんが、出来るだけ回復して、これからも妻と息子と三人で、力強く生きていきたいと改めて思いました。