kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

【私の禁煙の記録】 59日目~67日目で感じたこと(断念して喫煙再開)

はじめに

手術と入院の為に三月に入ってすぐから禁煙をしていました。四月に入って少しして入院して手術をして四月二十日頃に退院しましたが、退院後も禁煙は続けていましたが、68日目に断念し喫煙を再開しました。

まずは以下にその経過を綴った過去三回の記事のリンクを記します。

t-kazu-t.hatenablog.com

t-kazu-t.hatenablog.com

t-kazu-t.hatenablog.com

「断念」と言うより普通に「再開」という感じかも

途中でも自ら感じていましたが、自分で「どうしてもやめたい」という気持ちがあまり強くなく、入院、手術をきっかけに強制的に禁煙することになったのを機に「せっかくだから禁煙を続けてみようか」ぐらいの意識しか無かったのだろうと思います。

過去の報告(上記記事)でも書いていました通り、禁煙の反動でチョコレート菓子やスナック菓子の間食が増えまして、体重も69kg→74kgに増加していたのですが(身長は178cmです)、更に食べる量も増え体重も76kgまで増加した際に、何となく「マズいな」と感じて、その翌日から喫煙を再開しました。それが今から一週間ほど前です。

軽いタバコを一日10本・間食はやめられた

とりあえず一番軽い「1mg」のタバコで再開しまして、この一週間ずっと、一日の本数は8~10本程度です。こんな軽いタバコを吸うのは初めてですし、これだけ本数が少ないのも初めてです。この一週間は仕事も普通に再開していますが(それまでは療養で休んでいた)、とりあえずこんな感じで済んでいます。

間食のほうは喫煙を再開した日から一切しなくなりました。我慢しているとか気を付けているというより、「別に食べたいと思わなくなった」という感じです。ちなみに体重はとりあえず76kg→74kgに戻りました。

おわりに

そんな訳で、喫煙を再開してしまったので、このシリーズも今回で終わりとなります。

「一生吸い続けて良いのか?」と自問すると、いつかはやめなければならない気もしますし、でも当分はやめられないような気がしています。

「テレビ」と「ネット」に広告等の優先度はあるのか

一般の方の投稿だったので引用等はしないのですが、先日、購読している朝刊の投書欄を読んでいると、以下のような意見がありました。(いわゆる「ソース」は示せないので、私が勝手に作成した「想定問答」と捉えて頂いても構いません)。

七十代の方の意見で、その方はインターネットは全く利用せず、情報を得るのは主に新聞と「テレビ」だそうで、最近はテレビCMでも「詳しくはネットで」となっていることが多く、インターネットをしない自分には分からないというような内容でした。

インターネットをしないのが経済的な理由等ではなく「時間の無駄だから他のことに時間を費やしたい」というような理由であるにも関わらず、上のようなことに関して「テレビでももう少し詳しく広告して欲しい」と言うような要望を述べているというよりかは「不公平では無いか」と言うような不平不満となっていたので、少し驚いた訳です。

でも考えてみれば、特に高齢世代の方にとってはまだまだ「ネットなど全く信用ならないメディアで見るだけ時間の無駄」であり「テレビが貴重な情報源だ」と考えておられる方も多いのかも知れないな、とも思いました。

※ ※ ※ ※ ※

ただ、各種メディアに関してどのような思いを抱きどのように接するかはもちろん個人の自由なのですが、同様に民間企業が費用を費やし広告を出す際にどのようなメディアに対してどのように展開しようが、それもまた企業の自由のハズです。

これが国(政府)や地方自治体等の「公共」の広告(公報)であればまた話は別なのかも知れませんし、国民(市民)が「こんな公報は分かりにくいし不公平だ」と不平不満を言う対象なのかも知れませんが、民間企業の「広告」なのであれば、そのような色合いは極めて薄いと個人的には思いました。すなわち、消費者として情報を知りたいのであれば自ら積極的に接すれば良いだけであって、その情報が「閲覧は時間の無駄と感じるメディア」にしか無いのであれば、切って捨てれば良いだけの話のように思いました。

※ ※ ※ ※ ※

私は逆に「テレビ」のほうを見なくなって既に十年近く経つのですが、それこそ理由は「時間の無駄」だと感じるようになったからなのですが、もちろんそれは放送内容を「平均的」に考えれば自分にとって無駄だと感じるようになったというだけで、個別的に言えば番組にしてもCM(広告)にしても自分にとって有益なものはあるハズだと今でも思っています。

「平均的には無駄だから」と言う理由で、そのような有益性のあるものも含めてまとめて自ら切って捨てている訳ですから、「テレビにしか流れていない情報」があっても特に不平不満を感じないのは当たり前の話なのだろうと、個人的にはそのように考えています。

私の「弱小ブログ」のPV数を公開します & PV数に関する所感など

はじめに

この「はてなブログ」を始めて半年と少し経ちました。トータルのPV数が丁度30,000に達したのを機会に、このブログを書いています。

弱小ブログとモチベーション

この「はてなブログ」の以前にも、転々としながらずっとブログは書いているのですが、基本的にずっと「弱小ブログ」です。

更に前に、とあるSNSでブログを書いていた時に、かなりPV数が多かった時期が二年間ほどありました。月間PV数の最低が10万程度で、最高は約25万程度でした(5~3年ほど前の話です)。

色々あってやめたのですが、それ以降は基本的に「そこまで目立つ立場にはならなくて良いかな」というスタンスでブログを書いているのですが、かと言ってあまりに閲覧数が少ないと、「何の為に公の場で書いているのかな?ほとんど読まれないのだったら公の場じゃなくて自分のPC内で書けば良いじゃないか」と感じてしまうという意味で、モチベーションが下がってしまうことも事実です。

モチベーションが維持出来る最低ラインは?

では、月間でどの程度のPV数があればモチベーションが維持出来るのかと言うと、これが結構難しい問題です。

PV数に関する色んな方のブログ記事を読ませて頂いていると、月間で3,000(一日平均100)もあれば十分なように感じられる時もあれば、月間で30,000(一日平均1,000)程度は無いとダメなように感じられる時もあります。

と言う訳で、答えなど無いのですが、上で述べたSNSを辞めて以降は、とりあえず「月間で10,000(一日平均300程度)」を目標としています。

そんな訳で、どこかでブログを始めて半年から一年ほど続けて、「こんな調子なら月間10,000など全く到達しない」と感じた時点でそのブログは辞めてリセットし、次のブログを立ち上げる、という感じで繰り返しながら現在に至ります。

現在のPV数

と言う訳で、いつも人のPV数に関する記事を読ませてもらってばかりで、自分のことは書いていなかったので、今回は記したいと思います。PV数は「はてなブログ」のアクセス解析による値です。

と言いますか、冒頭で「(半年と少しで)PV数が丁度30,000に到達した」と書きましたので、本日でブログ開始から187日なので、一日平均のPV数は160となっています(単純な割り算で算出)。

推移を大雑把に書きますと、私の場合、転々としながらですが前々からブログをやっていますので、この「はてなブログ」を一から立ち上げた時にもゼロからスタートする訳ではなく、一日30PV前後からのスタートとなっていました。

そこから一日100PV程度まではすぐに上がったのですが(曖昧な記憶ですが一ヶ月ほど)、そこからなかなか上がらず、開始から約半年経った現在で、やっと一日200PV前後となっています。

短い期間で見ればもちろん波はありますが、一ヶ月単位で見れば「少しずつだが右肩上がりで上がっていく」感じとなっています。

どこから訪問されているか

圧倒的に検索からの流入が多いです。毎日少しはバラツキますが、今現在のアクセス元サイトは以下の通りとなっています(はてなブログアクセス解析より)。

・グーグル検索   :54%
・ヤフー検索    :27%
はてなブログ   : 4%
はてなブックマーク: 1%

一番読まれている記事に関しては、単一キーワードでも検索のトップから二番目に来るのですが、それでもビックワードではありませんので、一日平均で50PV程度ですので、その他の多くの記事が検索で僅かずつでも読まれたものの合計が現在の一日約200PVになっていると思われます。ちなみに現在の記事数は250です。

更新してもしなくても一日単位で考えたらPV数は変わらない

以上のように「過去の記事が検索で読まれる」部分で八割以上である訳ですから、一日単位で考えれば、その日に新しい記事を更新してもしなくても、一日のPV数には大した影響はありません。

ただ、PV数とは別に「固定的にずっとお読み頂いている方の存在」は非常に有り難いと思っていますので、仕事が忙しくて毎日は無理な時期もあるのですが、可能な限り更新するように心掛けています。また、長い目で考えた時に「積み重ねが大事」という思いもあります。

それに加えて、単に「書くことが好き」なので書いているという側面も強いと思います。

はてなブログ」だからPV数的に強い、とは言えないと思う

上で述べたSNSを辞めてから転々としている中では、今回のこの「はてなブログ」がPV数的には最も順調です。それまでは一日平均150程度から伸びなかったと記憶しています。

では、「はてなブログ」はその他のサービス(使っていたのはココログウェブリブログなど)と比べてPV数的に強いのかと言えば、そんなことは無いように思います。と言うのも、転々としている初期の頃に一度「はてなブログ」を使っていたことがあった為です。その時は途中で伸び悩みました。

はてなブログ」はSNS的に他ユーザーと積極的に絡んでいくのであればPV数的にも伸びる要素が大きいのかも知れませんが、私のように基本的に淡々と一人で更新して、その記事が検索メインで読まれる、という使い方である限りは、その他のサービスと大差は無いのだろうと思っています。

何故今回のブログはPV数が伸びているか

今まで転々としてきたものより今回はPV数が伸びていますが、はっきり言えば何故にそうなっているのかは自分でも分からない、と言うのが正直なところなのですが、今回のブログを始めるにあたって意識した点、及びあまり意識していない点などを以下に記します。なお、全ての項目に関してPV数に関係するのか否かは自分でも分かりません。

●事件、事故などの「ニュース記事にあきれた」ネタを減らす

「こんな事件を知ってあきれた」みたいな記事は今回はあまり書かないように意識しました。事件や事故などをきっかけにして自分の考えを書き込む場合は別ですが、内容のメインが「あきれた」みたいなものはあまり書かないように意識しています。理由は単純に「読む人は面白くないかな」と思った為です。

●政治ネタを減らす

これもあまり書かないようにしました。上記と同様で「あきれた」をメインで書いても読む人は面白く無いように思いましたし、また「きちんと考えた言説」は政治に関しては私には書けない為です(私が書くより優れた言説が世の中には山ほどあるという意味です)。

●見出しを付ける

元々は「プロっぽく見える」という点が好きでは無かったのですが(完全に素人の言説である為)、やはり「読みやすさ」を考えて見出しを付けるようにしました。

●文字数はあまり意識しない

私の記事は2000字前後のものが多いですが、特に意識することなく、短く終わるものは短いまま書いています。

●ランキングサイトは使用していない

転々としていた頃は使っていた時もありましたが、今回は使っていません。ただしランキング等は関係なく、「自分が閲覧者として、はてなブログ以外のブログを読む」という目的をメインで「ブログサークル」というサイトは利用しています。このサイトからの流入のほうに関しては極少なので、上で述べた「アクセス解析によるアクセス元サイト」の項目にも四捨五入してゼロだからか名前も出てこないくらいなので、あくまで「閲覧のほうがメイン」で使用していると言えると思います。

おわりに

今回はこのまま順調に伸びて一日平均300PV程度(月10,000PV)に到達するような気もしますし、何となく落ち込んでしまうような気もします。

日々の「書きたいことを淡々と書く」ことに加えて、まずは「検索で多く読まれる記事(=検索上位に現れる記事)」をもう少し増やしたいと思い、そのような意識で書く記事も少しずつ増やしているところです。

いつもお読み頂いている皆様、本当に有難う御座います。

家族と「普通に」楽しく過ごすGWが嬉しかった話

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

 

今週のお題でブログを書いてみる。

※ ※ ※ ※ ※

GW(ゴールデンウィーク)を迎える一ヶ月ほど前に入院をした。少し大きめの手術を受ける為である。

少し難しい耳の病気で、手術は上手くいったのだが、事前の想定通りなのであるが後遺症として「めまい」が残った。

事前には「今年のGWは自宅療養になるだろう」と思っていたし、四月二十日頃に退院した頃は、術後すぐのような「極めて酷いめまい」はおさまっていたのだが、それでも外出は「普通に無理だろう」という感じで「めまい」が残っていた。

しかしながら退院してからGWまでの一週間少しの間に更に回復し、激しい運動などではなく普通に外出するだけなら、「めまいが残っていること」に気を付けながらではあるが、出かけられる程度にまで回復した。

※ ※ ※ ※ ※

そんな訳で、GWの前半は妻と連れ立って息子(小学四年生)の部活の試合を見に行った。試合に出るのは五年生、六年生が主なのだが、息子も「ほんの少し」だけ試合に出た。

三年生から部活を始めたのだが、息子が試合に出ようと出まいと、ベンチに居る際の様子なども含めて見たいなと思い、比較的頻繁に試合や練習の見学に行っていたのだが、手術後は後遺症などの関係で「すぐには見に行けないだろう」と思っていたので、こんなに早く見に行くことが出来て、非常に嬉しかった。

※ ※ ※ ※ ※

GWの後半は息子の部活が休みだったので、「ナガシマスパーランド」という遊園地へ行った。自宅から二時間半ほど掛かるので、一泊二日の小旅行とした。

ここに行くのは三回目で、息子の身長が伸びると共に身長制限に掛からなくなり乗ることが出来るアトラクションが増えるというような部分でも息子の成長を感じたりもするのだが、まあ難しい話は抜きにして、単純に「息子が楽しそうな姿」を見られて親の私としては純粋に嬉しいのである。

朝から夕方まで現地に滞在し、かつ近くの旅館に宿泊するので、いわゆる「病み上がり」の身としてはハードであるとも事前には思ったが、自ら「どこまで回復しているか試したい」というような思いもあり出かけたのだが、意外と何ともなく過ごすことが出来た。

今現在でも後遺症の「めまい」ははっきり残っているのであるが、今後更に回復するのだろうとは思っているが、かと言って「完全に無くなるか」と言えば、主治医から病状等を聞いた印象ではそれも難しいのだろうと思っている。

が、仮に現状程度の「めまい」が今後ずっと残ってしまったとしても、上で述べたような、今回のGWの過ごし方くらいの生活の送り方は出来るということが自ら立証出来た訳であるから、この点も自分にとっての大きな収穫であった。

※ ※ ※ ※ ※

私は比較的「仕事が好き」であると思うが、入院直前からGWまでは仕事を休んでいた。しかしそれも飽きてきて、GW明けからは仕事も再開した。ちなみにフリーランスでやっているので、休むも再開するも比較的自由に自分で決められる。

人生の充実度に関して「仕事」の位置づけはかなり大きいのだと個人的には思っているのだが、でも「それだけ」の人生だったら、現在ほど日々に充実感を感じ頑張ることが出来ているだろうか、とも思う。

やはり結婚して「家族」が居て、何もたいそうな話ばかりではなくとも、妻と二人でランチに行ったり、息子のちょっとした成長を嬉しく感じたり、そして今回のGWのような小旅行を楽しんだりとか、そのような日々の幸せが、自分の人生を充実したものにしてくれているのだろうと、改めて思った。

病気をして手術をして後遺症も残ることになって改めて、上で述べたような「幸せ」を実感するGWとなった。

「結婚しなくても幸せになれる時代」は本当か?

はじめに

少し前の話題なのですが、以下の記事を読みました。

www.j-cast.com

最初に書いておきますが、ゼクシィの以下のキャッチコピー、

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」

を批判したいとか、そういう気持ちは全くありません。どのような立場の人も否定していないという意味で素晴らしい、というような論評に関しても、基本的に異論はありません。

その上で、「私個人」に限って言えば、という観点で以下を記します。もしかしたら私と似たような考え方で当てはまる方も居られるのかも知れませんが、そういう方が世の中に居られるかどうかは私には分かりませんので、とりあえず「私に限った」話として記します。

ちなみに私は45歳男性で、十五年ほど前に結婚した既婚者です。

「結婚しなくても幸せになれる時代」とは決して言えない

これは私が「結婚したい」と考えていた時代が約十五年以上前だから、という訳ではなく、仮に当時の独身時代の私が過ごしていたのが十五年後の「現在」であったとしても同じなのですが(すなわち少し昔なのか現在なのかを問わず)、私個人に限って言えば「結婚しなくても幸せになれる時代」とは決して言えないと断言出来ます。

理由は単純で、私は「どうしても結婚したい」と考えていたからです。すなわち、「この相手と結婚したい」と相手が先にある訳ではなく、誰が相手であってもとにかく「結婚をした人生を送りたい」と強く考えていた訳です。

「結婚」の意味は、籍を入れる入れないというような意味ではなく、子供の有無は別として、「一人っきりで生きていくのではなく、誰かこの人と決めた相手と、一生を共に平穏に過ごしたい」というような意味です。相手の候補なんて全く居ない若者の頃から、そのように考えていました。

「幸せになれる」という文言は、けっこう曖昧だと思いまして、例えば私のように「絶対に結婚したい」と思っている人間が結婚出来ずに終わったとしても、その他の例えば仕事で成功するとか色んな要素で「結婚は出来なかったけど、その他も全て含めるとそこそこ幸せな人生だった」という意味では「結婚しなくても幸せになれる」というフレーズはその通りなのかも知れません。

が、そうではなくて「結婚出来ても出来なくても、同レベルの幸せを感じることが出来るのか」というように考えると、最低でも私のように、相手は誰であれ「絶対に結婚して、そしてその結婚相手と平穏に一生を共に過ごしたい」と考えている人間にとっては、決して「結婚しなくても幸せになれる時代」とは言えない訳です。

それは極めて単純な話なのだろうと、自分ではそのように思っています。

いわゆる「リア充」の論理に聞こえる

結婚してもしなくても幸せな人生が送れると言われた時に、「結婚しなくても幸せな人生って、どんな人生なのだろう」と私なんかは率直に思います。すなわち、仕事だけは現在だけでなく独身時代も充実していたと思いますが、その他の大半が何も充実していない、いわゆる「リア充」とは正反対の人間であったが故に、「せめて結婚だけは」なんて強く考えていたようにも思うのです。と言うよりも、仕事と結婚以外の部分に(全くではありませんが)あまり意義を見出せない人間である、と言うほうが正しいかも知れません。

逆に、いわゆる「リア充」の人なら結婚をしなくても楽しく幸せな人生なのかも知れませんし、少し皮肉っぽく言えば、そのようなタイプの人だからこそ「結婚しなくても幸せになれる時代」と肩の力を抜いていても、自然と結婚相手と知り合い、そして結婚に至るのかな、なんて思ってしまう訳です。

そして、私はそのような立ち位置とは正反対に居たのであろうと我ながら思うのです。

そんな私が結婚出来た訳

上のようなことを書いていて、自分でも思うのですが、「ひねくれ者」というか「変わり者」というか、自分でもそのように思います(ただし今回は詳しく書きませんが、決して自分を卑下している訳ではありません)。

そして、このような私、すなわち「リア充」とは正反対で交友関係も極少で、モテた経験も一度もなく、二十代後半まで「彼女居ない歴=年齢」だったような男が、それでも三十歳の頃に一念発起し、必死になって「結婚」相手を探し、そして妻と知り合い結婚し、その結婚生活を大切に思いながら、それから十五年近く、ずっと平穏に過ごすことが出来ているのは、もちろん「運」という要素もあるとは思いますが、基本的には、

「結婚しなくても幸せになれる時代」なんて決して思っていなくて、「絶対に結婚して、そしてその結婚相手と平穏に一生を共に過ごす」というような人生を送りたいと自ら強く願っていたから

だと、私はそのように考えています。

おわりに

冒頭でも記しましたが、ゼクシィのキャッチコピーを批判したい気持ちは全くありません。またCMのキャッチコピーである訳ですから、「特殊なケース」全てに当てはまるなんて不可能であり、世間の平均的な人々に対して好感が得られるような内容のほうが良いのだろうと思いますし、そのような意味でこのキャッチコピーは「素晴らしいのだ」という意見に対しても全く異論はありません。

ただ、私自身はそのような「平均」とは大きくズレていることもまた事実であり、そしてこれは結婚には限らない話なのですが、「今の時代の普通は」よりも「本当に自分の望むものは」を突き詰めて考えてきたからこそ、現在の幸せな生活があるのだろうと、私に限って言えばそのように言えるのだろうと考えています。