「どうせ、いつも出来る訳では無いから」と考えるのか、「いつも出来る訳では無いからこそ、せめて今回だけは」と考えるのか
この記事は2016/01/05にココログで記したものの再掲となります。
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自分のクルマでは、我が子に対して毎回欠かさずチャイルドシートを装着させていても、例えばよそのクルマに同乗させて頂いた際には必ずしも装着している訳では無いかも知れません。
更には、例えば路線バス等に乗った際などは、まず装着していないでしょう。
そんな日々の中で、「いつも装着出来ている訳では無いから、自分のクルマの時だけ必ず装着したって意味がない」という考え方もあるのかも知れません。
反対に、「状況により装着出来ない時もあるのだから、せめて自分のクルマの時だけでも必ず装着させよう」という考え方もあると思います。
そして、この「どうせ」と考えるか「せめて」と考えるかの問題は、クルマに限らず、また安全に限らず、色んな事柄に関して生じるのだと思います。
こういったことに関する基本思想がどうであるのかは、その人自身の「生きざま」であるような気がしています。
そして、子供というのはその親の「生きざま」を見て育つのかも知れません。
そんなことを改めて思いました。