kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「ぼっち」の記事を見て、改めて自分の半生を振り返ってみた(一人で生き抜く力の話)

以下の記事を読みました。

news.livedoor.com

(前置き1)社会生活まで送れないケースであれば、それは「ぼっち」とか言う軽い問題では無いと思う

記事では「心の病」が事例として挙げられているのですが、友達が居る居ないの次元の話なのではなく、学校や会社などの「社会生活」さえ送れない、というケースなのであれば、それは治療なり支援なり、何らかの「社会的な手助け」が必要であるように思いますし、それは「ぼっち」などと軽く済ませるケースでは無いように思います。

(前置き2)私が思う「ぼっち」のイメージ

私の勝手なイメージですが、学校や会社などの社会生活は送れるしその際に必要な最低限の会話なども出来るが、友人と呼べるような人は居らず休日などは一人で過ごしている人、というのが私の持つイメージです。

以下、そのような前提で話を進めます。

(前置き3)「一人」で何が悪いのか

いや、本当は友達が欲しいし一人は辛いけど現在友達が居なくて「ぼっち」だという人は、今すぐにでも趣味の世界でも何でも外に出て友達を探しに行ったほうが良いと思います。ただ、そういう人は「ぼっちの多数派」では無いようにも思います。

そうではなくて、「一人が快適」だから一人で居る人は、周囲の人が何と言おうが「一人」で居れば良いように思います。

少し前に「便所飯」という言葉が流行りましたが、別に一人で飯食ってて何が恥ずかしいのかと。

「あいつはぼっちだ」とか「友達が少ない」などと誰かに陰口を言われることもあるのかも知れませんが、逆に大きくなってもそんな陰口言っているような精神性の人と仲良くしてもあまり意義は無いように思います。

しかし「ぼっち」では無かった私(ここから本題)

じゃあ、お前はどうなんだ?と思われた方も居ると思いますので、書いておきます。

●小学校時代

自分の記憶の限りでは、「普通の生徒」だったと思います(普通ではないエピソードもいくつかありますが今回はあまり関係ないので省略)。

●中学校時代

社交性の無さが現れた時期だと思いますが、最初の内は「ぼっち」ということはありませんでした。

しかし三年生の時に、当時あった「地元集中運動」(ウィキペディアコチラ)で学校内で一番の「糾弾の標的」にされてしまいまして(その中学校(荒れた学校です)からは十数年ぶりに受験する偏差値の高い学校を志望したことが関係していると思われる)、先生だけでなくクラスメートからも糾弾されますので「友達」とか心の底からアホらしいと確信するに至りました。ちなみに担任からは進路指導の最初に「お前の頭で受かるか!」と言い放たれましたが、受験は合格しました。

そして地元を捨て(自分自身も両親も今では引っ越してますし小学校中学校時代の友人(だった人)とは年賀状も含めて一切の関わりはありません)現在に至っています。

●高校~社会人まで(バイト時代)

中学を出てすぐにバイトを始めて社会人になるまでずっとバイトを続けていましたが(一箇所ではなく色々変わった)、私の社会性というのはここで身に付いたと思っています。

基本的には「おっちゃん」「おばちゃん」たまに「若い人」たちと挨拶や日常会話もしながら仲良くやっていかないと仕事が上手く回りませんので、自然とそういう能力が身に付いたのだと思います。

ただ、基本的には「社交性の無い男」ですので、例えば職場で知り合った誰かと外で会うとか、そういう経験は一度もありませんでした。

学校では「孤立」まではしてませんが、学校外でも会って遊んだりする人は本当に限られていたのですが(時によって違いますが1~2人)、その時からずっと友人だった男の一人が、現在の「たった一人の友人」である男でして、それ以外の人たちとは卒業して暫くして全て関係は切れました。

●社会人~現在

若いときは仕事以外の趣味での友人のような人も居ましたが、やっぱり関係は続きませんし(自分の性格の問題と思います)、サラリーマン時代の同僚との関係も全て切れています。

●まとめ

結局、30歳の頃までは(週末を一人で過ごすことも多かったですが)数少なくても食事をしたりする人が誰か居ましたので「ぼっち」ということは無かったと思います。

逆にそれ以降(サラリーマンを辞めてから)は、仕事関係(取引先の方)の飲み会などを除くと、日常的に誰か「友人」と食事をしたりする機会は全く無くなり、それこそ友人は上で述べた旧友一人となり(年賀状もこの一人だけ)、その友人とも会うのは年に一回あるかないかですので、結婚していなければ「ぼっち」であったかも知れません。

そして結婚した

私自身は(大勢は好きではないが)「一人が好き」ということは無いのだと思っているのですが、中学生の時の経験が深く関係しているのだと思いますが、本当に「広く浅い友人関係」とか(恋愛関係も)別に要らないので、(子供の有無は別にして)「誰か心底から信頼出来る女性と結婚してずっと一緒に暮らしたい」と、かなり若い頃から思っていました。

ただ、社交性が無くて27歳まで「彼女居ない歴=年齢」だったような男ですので、「誰か良い人とめぐり合えたら良いけど、『無理して探す』のは何か違うよな~」みたいなことを言ってられるような立場ではありませんでしたので、それこそ「必死」に探したのでした。

運よく妻と知り合いまして、上で述べたようなことや、ここでは書けないようなことも含めて、過去のことは洗いざらい喋った上で結婚してもらいまして、それから十余年、子供も出来ましたがずっと平穏に暮らしています。

まとめ

今回は触れませんでしたが社会人になってから仕事はずっと充実しています(ずっと同じ仕事をしています)。

前述した通りこの十何年かは日常的に食事をしたり遊んだりする「友人」は居ない訳ですが、それでも寂しさを感じないのは「家庭」と「仕事」がずっと充実しているからだと思います。

あと、途中で中学生時代の「地元集中運動」のことを書きましたが、基本的には辛い思い出なのでしょうが、「自分が一人になっても正論を貫き通す力」「自分が一人になっても正しいと思う道を周囲に惑わされず決断する力」のような「一人で生き抜く力」はこの時に身に付いたかも知れない訳で、そういう意味では「良い経験」だったのかも知れません。

そして、そんな私が「一人きりで自営業で働く」というスタイルに行き着いたのは、必然の結果だったのかも知れません。