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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

昔から「ミスコン」に全く興味が無かった理由を、今更ながら考えてみた

 以下の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

記事には、

国内の大学で行われるものだけでも200件ほどあるとされる。アナウンサーや芸能人を輩出するなど、注目度は高い。

と書かれているのですが、「そんなにいっぱいあるのか」なんて初めて知った次第でして、昔から本当に興味がありませんでしたし、誰か有名人で「あの人はミス○○だったな」なんて思い浮かべられる人も一人も居ません。ちなみにもっと世界的な大会もあって日本人の方も出られていたようなことを昔(テレビを見ていた時代)にテレビのニュースか何かで見かけた記憶があるのですが(記憶違いならスミマセン)、大会の大小に関係なく興味がありません。

記事では、

一方、「男性目線で容姿の優劣を決める女性差別」などの指摘もある。

とも書かれていましたが、そんな難しいことを考えて嫌いとか何とか考えたことがある訳ではなく、純粋に「興味が無かった」ということだと思います。

人が人に「主観」で順位を付けるというくだらなさ

改めて考えると人や作品などに対する順位付け(ランキング)というものも色々なパターンがあるなと思いました。

例えば運動会の徒競走の順位。早く走った人から順位が付いて、極めて妥当であるように思います(私は徒競走の順位付けは肯定派です)。

例えば歌謡曲のランキング。聞いたり買ったりした人が「多い」順に順位が付きます。「人」が購買行動などにより順位を付けていますが、恣意的でないというか、不特定多数の人々がそれぞれの思いで行動したものを「集計」して順位付けする訳ですから、難しい裏事情などもあるのでしょうが一定の意義は有するように思います。ブログ記事がよく読まれているブログとしてトップページに列記されたりするのも、同じような話なのかも知れません。

しかし「ミスコン」って、そういうものと比べると、もの凄く恣意性を感じます。詳しく知りませんが、たぶん最初に写真や履歴書などで選考されて、選ばれた人たちが現場で審査員に選考されるという流れだと思いますが、そういう選考をする「審査員」は主催者が独断と偏見で選んでいるのでしょうし、更にはその選ばれた審査員たちの独断と偏見で審査も進められる。

その過程における独断と偏見が「私の感性」とシンクロすることは、可能性として極めて低いのでしょうから、そんな「コンテスト」の結果に私自身が意味も意義も感じない、というのは、考えてみれば当たり前の話であるように思いました。

おわりに

途中で述べたように、「女性差別だセクハラだ云々」などの嫌悪感は基本的に感じません。何故ならそれが嫌な女性は「応募しなければ良い」だけの話だと思う為です。従って「廃止すべきだ」とか、そのような考えも全くありません。

ただただ、私自身は今までもこれからも「全く興味が無い」のだろうなと、そのように単純に思った次第です。