kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「電車内で化粧をする人=仕事が出来ない人」ってホントかそれ!?って思った話

以下の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

タイトルでは「異論、反論相次ぐ」となっているのに、コメント欄を最初の5ページほど見ていたらほとんどが「賛同意見」でして、少し驚きました。

この件(電車内で化粧をする人=仕事が出来ない人、という意見)に関しては少数派なのかも知れませんが、私は「賛同できない」です。

考え方が短絡的過ぎないか

この意見の発信者の論理は以下のようなものです(上記記事から引用)。

 「逆算して、身だしなみを整える時間を作っておくべきであって、その計算ができない、実行できないのは仕事ができない人だと思う」 

見てすぐにおかしいと感じたのは、電車内で化粧をする人=「時間(スケジュール)の計算や確保が出来ない人」と決め付けている点です。すなわち、やろうと思えば出来るけど「別に電車内での化粧が恥ずかしいなんて思ってないから敢えて時間なんて確保しない人」の存在が抜け落ちています。

別の場所で見たのですが、「電車内では化粧しないなんて常識さえ分からない人が、まともな仕事が出来る訳が無い」というような意見もありました。

この論理では、「電車内で化粧をしている人=他の事柄の全てにおいて非常識な振る舞いの人」かつ「仕事が出来る人=全ての事柄において常識的な振る舞いが出来る人に限定される」ということになっていまして、では実際の世の中はそんなことになっていますか?と考えると、「そんなわけはない」というのが私の個人的な感想です。

「仕事が出来る」ということの意味

もちろん、職種によっては他の事柄よりも「常識的な振る舞い」が一番に要求される仕事もあるのだとは思いますが、そうでない仕事もたくさんあります。

仕事によっては、「多少は常識的な振る舞いが足りないが本業の能力がとてつもなく凄い人」と「常識的な振る舞いは完璧だが本業に関すると中身が空っぽな人」を比べれば、明らかに前者のほうが「求められる人材」ということも多いと思います。

別の視点で見れば、何か専門性のある仕事をしている方が、仮に自分が独立起業して誰か人を雇うと想像した時に、上記の前者と後者のどちらを選ぶのか?と考えたら、明らかに前者と答える人が多いのではないでしょうか?

もちろん、両方を兼ね備えているに越したことは無いのですが、そんな「完璧な人」は世の中では少ないでしょうから、現実には自分の周囲には上記の両者しか居なかったとした時に、どちらが「仕事が出来る」と評価されるのか?という話です。すなわち、「仕事が出来る」というのは現実の世界ではその時々での状況の中での「相対評価」である訳です。それを「○○な人=仕事が出来ない人」と一般性を有するような言い方で決め付けてしまうのは、非常に無理のあることだと思います。

結局は「極端な決め付け」は良いとは思わない、という話です

私自身は「電車内の化粧」自体に関しては「みっともない」と思っていますし、自分の妻にそのような振る舞いは絶対にして欲しくありませんし、仮に娘が居たら「それはみっともない行為だ」と教育すると思います(実際には息子しか居ませんが)。

それはさておき、例えば「不倫、浮気をする人=仕事が出来ない人」と決め付けてみます。

・配偶者や恋人が居るにも関わらず不倫、浮気をするのは、理性の働きが足りない

・理性の働きが足りないような人間に、良い仕事が出来る訳がない

と決め付けることが可能なのですが(論理的に何が足りないのかは繰り返しのような話になりますので省略します)、現実社会で仕事関係の人でそのような人が居たときに、「不倫、浮気をする人=仕事が出来ない人」なんて決め付けで何かを考えるでしょうか?

私は「電車内での化粧」なんて比べ物にならないほど「不倫、浮気」を嫌悪する人間なのですが(若い時から一貫してそうです)、そんな私でも「不倫、浮気をする人=仕事が出来ない人」なんて決め付けて考えることなど一切ありませんし、またその一点をもってして相手を嫌いになることもありません。

結局はそのような「決め付け」は非生産的で何も生み出さないという意味で良いこととは思わない、という話なのであって、「電車内での化粧」の是非とは基本的に関係ない話となります。従って「電車内での化粧」を擁護する意図は全くありません。

冒頭で引用した記事を読み、そのようなことを思いました。