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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

虚偽の記者会見(心臓移植)をそのまま報道の問題 ~形のないものを売る仕事の意味~

私の考え 仕事や労働など

昨日、以下の記事を書きました。

t-kazu-t.hatenablog.com

報道というのは「情報」を売る仕事です。すなわち、形のあるものは何も生み出しません。正確には新聞なら紙面(電子版含む)、テレビなら映像などを生み出しますが、それ自体には基本的に意味がなく、意味を持つのはその中身である「情報」である訳です。

私自身も「設計」という仕事をしていますので、全く同じです。すなわち、私は実際に世の中に形が残る「モノ」自体は何も作りません。作るものは「設計図」とか「計算書」の類のものであり、それ自体(紙やデータ)には何の意味もなく、その中身である「情報」を売りお金を稼いでいる訳です。

考えてみれば凄い話

これってよく考えると凄い話です。なんせ世の中に残る「形のあるモノ」は何も生み出さないのにお金を貰っている訳ですから。

私は、設計をする際には細心の注意を払います。もちろん、人間がやることですから間違いがゼロと言えばウソになります(かなり少ないほうであると自他共に認められてはいますがゼロではありません)が、これを間違ったら決定的にマズいというか、そんなものを間違うような人間ならちょっと「信用」出来ないな、なんて相手から思われてしまうような間違いは、今までやったことはほぼありません(本当はゼロと言いたいが「ほぼ」と書いたのは相手の捉え方の問題もあるので一方的に断言できない事柄である為)。従って自営で一人きりになり自分の「信用」以外の後ろ盾は何もなくなった今でも、やりきれなくて困るほどの仕事がずっとあるのだろうと思っています。

「設計図」や「計算書」などの体裁をどれだけ綺麗に整えても、それ自体には大して意味がなく、それよりも遥かに大きな度合いで「中身である情報」が重要である訳です。

もちろん、こういう話は「序」の話であり、実際に仕事が評価(他人と差別化)されるのはもっと「創意工夫」に関する部分が大きいと思うのですが、上で述べたような話はそれ以前の「前提条件」として押さえておかなければならない話なのだろうと思っています。

もっと凄いのが「報道」という仕事

その度合いがもっと凄いのが「報道」であるように思います。

と言うのも、例えば「設計」の場合はそれ自体は形のあるモノは生み出しませんが、それを基にして最終的には形のある「モノ」が現場で作られて世の中に流通します。それが売れて発生する「お金」が私たち設計屋の原資でもある訳です。すなわち私たち設計屋が作る「情報」というのは、最終的に「モノ」が作られるまでの途中の過程に過ぎません。

しかし「報道」というのは違います。本当に形のあるモノは何も生み出しませんし、形のない「情報」が最終的にお金に代えられる「対価」である訳です。

やっぱり今回の「虚偽会見」をそのまま報道するなんて「有り得ない」と率直に思う

以上のような観点から考えても、やっぱり今回のような誤報というのは、私個人的には「ちょっと有り得ないよなぁ」と改めて思った次第です。