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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

「半端ない」という言葉と、「ら抜き言葉」から気づいた自分のご都合主義

「半端ない」という言葉

初めて「半端ない」という言葉を聞いたのは、いつだったか覚えていないほど前のことなのですが、当初から最近までずっと違和感を感じていました。

ようは、正しくは「半端ではない」もしくは「半端じゃない」ではないのか?という違和感を感じていた訳です。

当初は文字で書くと漢字で表わすというよりかは「ハンパない」とカタカタで表わすような感じの、いわゆる「若者言葉」のようなものという印象があったのですが(私の勝手な印象です)、今では「半端ない」と漢字で書かれている文章も普通に目にするようになったという印象です。

私と同世代(四十代)の有名な評論家の方のブログで、「半端ない」と使われているのを初めて見た時は驚きました。書籍も多数出されていますし、その際には「半端ではない」「半端じゃない」と使っておられると思いますので、ブログのほうでは知らずに使っている訳ではなく敢えて使っているのだろうと推測しています。

ら抜き言葉」を普通に使用する自分

では、私は常に正しい日本語を使用しているかと言えば、そんなことは全く無い訳でして、そもそも「国語の勉強が嫌いだった」私には完璧に正しい言葉を話したり文章を書いたり出来るだけの能力もありません。

そして、間違いを指摘する声があるのを知っているにも関わらず普通に使っている言葉の典型例が「ら抜き言葉」なのだと、ある時気付きました。

以下の記事に「ら抜き言葉」の使用に関する調査結果などが記されています。 

www.nikkei.com

記事では「見れる」「出れる」「来れる」「食べれる」「考えれる」の五つが取り上げられていますが、最初の四つなんて本当に普通に使っていると思います。

たぶん、私が小さな頃から普通に使われている言葉なので全く違和感を感じないのだと思いますし、使用されている歴史も長いのだろうと思いますが、正しいか正しくないかを厳密に考えれば「正しくない」のかも知れないな、と思いつつ、私自身は深く考えようと思ったことなど一度もありませんし、また改めて考えると「食べれる」「食べられる」など混在して使ってしまっているものもあるように感じましたし、ようは自分で言うのも何ですが「テキトー」なのだと改めて思うのでした。

なお、「ら抜き言葉」以外にも、自分の「正しくないかも知れないが使っている日本語」はいくつか思い当たったのですが、今回の本題とは異なりますので省略します。

そんな私が「半端ない」という言葉にだけ嫌悪感を示すのは「ご都合主義」かも知れない

冒頭では「半端ない」という言葉に「違和感」を感じると記しましたが、ようは「テキトーな言葉遣いをして日本語を乱しやがって」みたいな嫌悪感をずっと抱いていたのだろうと思います。

しかし自分で自分にツッコミを入れると、まさに「いやいや、アンタも十分にテキトーだろうよ!」という感じでして、そのような私が上記のような嫌悪感を感じるなんて、まさに「ご都合主義」なのかも知れないと、改めて思ったのでした。

最後にお礼

と言う訳で、こんな私でも「日本語」を使って何とか文章を書きながらずっとブログを続けている訳ですが、このようなブログをいつもお読み頂いている皆様、本当に有難う御座います。