kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「ひとりぼっちの人生」が望んだ結果であるのなら、それが「負け組」の人生であるはずがない、と思った話

以下の記事を読みました。

news.livedoor.com

元々「勝ち組」とか「負け組」という言葉はあまり好きでは無く滅多に使わないのですが、今回は上記記事を読んでの記述ですので、使用することに致しました。

私に友達がほとんど居ないのは、自らそれを望んでいるから

私は45歳の既婚男性ですが、「友達」というのは、もう三十年近くの付き合いになる旧友が一人いるだけで、後は文字通り「誰も居ない」というのが現状です。年賀状のやり取りもその旧友一人です。ちなみにその旧友と会うのも年に一回あるか無いかです。

元々社交的な性格ではありませんが、二十代の頃は「休日に会う」ような友人も全く居なかった訳では無いのですが、自ら関係を断っていき、旧友を除けば「誰も居なくなった」訳ですが、そんな私が交友関係の広い人たちを羨望し自らを「負け組」と思っているかと言えば、そんな訳はありません。何故なら当たり前ながら「自ら望んだ結果」だからです。

私に家族が居るのは、自らそれを強く望んでいたから

社交的な性格ではなく、かつ「非モテ」で二十代後半まで彼女居ない歴=年齢であったような私ですが、そんな私でも何故に「結婚して家族も居る」のかと言えば、これも自らがそれを強く望んだからだと思います。

ただ、上で述べた「交友関係を切っていく」という行為は私のような人間にとっては難しく無かったのですが、逆に「良い女性と知り合って結婚する」という行為は、私にとっては今から考えてもめちゃくちゃハードルは高かったのだろうと思うのですが、それでも何故にそこに至ることが出来たかと言えば、もちろん「運」もあるとは思いますが、根本的には「ひとりぼっちの人生は絶対に嫌なので、絶対に結婚はしたい」とかなり強く思っていたからなのだろうと思います。今回は記しませんが、かなり本気で頑張って恋愛相手ではなく「結婚」相手を探し、そして妻と知り合うことが出来たのは過去に書いた通りです。

ようは、当時は子供までは考えていませんでしたが、結婚して家族を持って、そして好きな仕事(新卒から今でもずっと同じ仕事をしています)が充実しているような人生を望んだ訳で、そして空いた時間には現在なら「ブログ」ですが、基本的に一人で作業が完結出来るような楽しみを好みますので、そのような趣味を持って生きていければ理想的である訳で、逆に「友達と休日に会う」みたいなものは結婚後は要らないかなと思っていたので、結婚相手を探す前にはそのような交友関係を自ら断ち切って行った訳です。

そして、大体は今のところ自分で望んでいた通りの人生を送ることが出来ているのかな?と思っています。生涯を通じてやっていそうな趣味が「ブログ」になったことは想定外でしたが(苦笑)。

友人もいらないし結婚もしないし本当の「ひとり」を望むのであれば、それもまた人生だと思う

私の場合は「ひとりぼっち」で生涯を過ごすことは絶対に嫌であった訳ですが、共に過ごす対象は「友人」では有り得ず「配偶者が欲しい」の一択だった訳でして、そしてそれが達成できれば逆に「余分な交友関係」は望まなかった訳です。

しかし「余分な交友関係」どころか「配偶者」さえ要らず、「ひとりぼっち」と書くから聞こえが悪いですが、ようは出来るだけ「一人きりで過ごす」ことを望む方だって居られるように思いますし、そのように思う人が自らそれを望みそのように行動し「一人きりで過ご」していたからって、それが「負け組」である訳が無いように思います。

周囲の無用な声は聞き流せば良いし、不必要に周りに合わせることもない

私は現在はフリーランスですが、独身時代はサラリーマンだったのですが、飲み会にはほとんど参加しないなどかなり付き合いは悪く、皆が飲みに行ったりバーベキューに行ったりしている間に私は一人で会社に残って仕事をしているような男でした。

しかし、それで同世代の人から色々と言われているかもとか、そのようなことは全く気になりませんでした。何故なら自ら望んでやっていることですし、またそもそも会社には「仕事」をしに行っている訳で、その「仕事」で社内や顧客の一定の評価を得られていたので、「会社」に関しての心の満足感はそれで十分であった訳です。

そして、仲良くバーベキューをしたりコンパに行ったりしている同世代の人を羨ましいと思ったこともありません。何故なら自らがそれを望んでいない為であり、今から考えても「当たり前の話」なのだろうと思います。

おわりに(そして、自らが望んでいるにも関わらず、それを実現出来ていないのであれば、それは努力して頑張るしかない、という話)

本当は友達が欲しいのに「ひとりぼっち」だという人なら頑張って友達を作る努力をすべきですし、本当は結婚したいけど相手が居ないという人なら頑張って相手を探す努力をすべきように思います。

それが実現出来なかったからと言って、それを「負け組」と呼ぶのかは私には分かりませんが、自らが実現を望むものを「出来るだけ努力して実現を目指す」ことは人生における尊い行いであるように思います。

友達や結婚に限らず、例えば仕事で給与所得者ではなく「独立」等を望むのであれば、それが実現するように努力すべきと思います。

ただ、それを望むからと言って、それを望まず給与所得者の道を選ぶ人を蔑むように見るのはおかしい訳で、給与所得者(平たく言えばサラリーマン)の道を歩みながら優れた仕事で社会に貢献されている方も非常に多く居られる訳ですから、両者に優劣はなく、人それぞれ自らが「どちらを目指すのか」の違いであるように思います。

そのような意味からも冒頭で述べたように「勝ち組」とか「負け組」という言葉はあまり好きでは無く滅多に使わないのですが、繰り返しになりますが、自らが望んだ結果としての現状があるのならその現状を誰がどう言おうが無用な声は聞き流して誇りを持って生きれば良いし、逆に望むものはあるけどそこに届かない「現状」なのであれば、それに届くように頑張って努力すれば良い、という話なのだと改めて思いました。

なお、これは私自身にも言えることですが、その時々の自分の考えで目指すものや捨てるものなどを決める訳ですが、人間の考えなんて状況や年齢その他により移ろうようにも思いますし、その際に「過去の自分の判断」により自分が苦しんだりすることも普通に有り得るように思う訳で、そのようなものにも文字通り「自己責任」で対峙していく覚悟を持つ者が「大人」というものかも知れません。

冒頭で引用した記事を読み、そのようなことを改めて思いました。