読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

自分は普通にアダルトビデオ(AV)を見るけど、自分の娘にはAV女優にはなって欲しくない、という心情について

娘を持つ父親のほとんどの姿ではないか?

現在進行形か過去形かは別として、自分自身は普通にアダルトビデオ(AV)を見ている(見ていた)が、自分の娘が将来大人になった時には「自分の娘にはAV女優にはなって欲しくない」と考える男性って、かなり多いのではないか(と言うか「ほとんど」ではないか)と個人的にはそのように思っています。

私(45歳男性)は息子(小学三年生)が一人居るだけで娘は居ないのですが、仮に娘が居たとしたら、そのように考えてしまうかも知れません。

そして、そのようなもの、すなわち何かの職業で働いている人たちから日常的にサービスを受けていながら自分の子供には将来その職業に就いて欲しくない、という対象が日常的にありふれているという人が「ほとんど」ではないかと思っています。

自分の中の、ある意味の「矛盾」を認めることから全てが始まる

例えば「AV女優」に関して言えば、自分の娘にはなって欲しくないと思う人であっても、その存在自体は否定しておらず、特定の女優さんのエピソードなどに共感しファンのような心理を抱いてしまう人というのは、男女を問わず普通に存在するのだろうと思っています。

そのような「職業」の存在は十分に認めているし、そのような「生き様」に共感を抱くことさえあるが、ただただ「しかし自分の娘にそうなって欲しいかと言えば、それは別だな」というような感情である訳です。

それは、ある意味において「矛盾」であるようにも思うのですが、人間は往々にしてそのような「矛盾」を抱えて生きているものだと、開き直りではなく「素直に認める」ことから全ては始まるような気がしています。

多様性を認め相手を尊重する社会

最悪なのは、その「矛盾」に気づいた時に、それを自ら認めることが出来ずに、「自分の娘にはなって欲しくない」の部分と整合を図る為に「AV女優」の存在自体を否定してしまうような論理構成だと思っています。

もちろん、もっと別の観点から本質的に「アダルトビデオというものはこの世から無くすべきだ」と考える人を否定するものではなく、あくまで上記の「矛盾」を自らの中で解消する為に「AV女優」という存在を無くそうとしたり、もしくは必要悪だなんて「悪」という位置づけにしてしまうような論理構成は非常に筋が悪いのではないか、と思っている訳です。

「AV女優」に限らないのですが、その職業の有用性は十分に理解していたり、もしくは常日頃から世話になっていたりしながらも「自分の子供には将来就いて欲しくない」と考えてしまうのであれば、自らのその「矛盾」は素直に認めた上で、相手の存在も素直に肯定し尊重するような精神性のほうが「健全」であるように思っています。

そのようなことを改めて思いました。