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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

「ある芸人さんが引退発言をし、そして撤回」という記事を見て思ったこと(プロの仕事とは?)

私の考え 仕事や労働など

ある芸人の方がインターネットで引退を表明し、そして撤回したというような記事を読みました。その方のことは大して知りませんし、その方に関して何かを言及したい訳ではありませんので、記事の引用は致しません。

引退を表明された際のコメントを読み思うことがありましたので、一般的な話としてそれを記します。

プロの仕事というのは「仕事上で世話になった人たち(上司や先輩など)」の為にやっているのか?

「プロ」の仕事というのは過去に世話になった人たち(上司や先輩など)の為にやっているのか(=辞めればそういう方々が残念に思うから続けているのか)と考えると、私はそうでないと確信的に思っています。

では、誰の為にやっているのかと言えば直接的には「顧客の為」であり、そしてそれを通じて間接的には「社会を豊かにする為の貢献」としてやっているのだと思っています。

従って仮に自分が仕事を続けることが顧客や社会の為にならないというか、もっと他の道を選びなおすほうが貢献できると考えるのであれば、それはどれだけ「世話になった人たち」が悲しもうがそれを貫くべきですし、逆もまた然りのように思います。

言い換えると、自分の身の振る舞い方が「顧客や社会に対する貢献度」よりも「世話になった人たちや仲の良い仲間たちがどう思うか」などを優先して考えているような人の仕事は、「プロの仕事」のやり方、考え方とは少し違うと思っています。

心の内をインターネットで「簡単」に投稿出来ることの恐さ

上で述べたのはあくまで私の考えに過ぎませんが、今回の芸人の方もどのような考え方かは分かりませんが、長年芸能界に居られるようですので、簡単に辞意を表してはいけないというような「プロ意識」はあるのだろうと想像します。

しかし私もそうですが誰だって、弱気になることはあると思いますし、どれだけ誇りを持って続けている仕事であっても時には「もう辞めてしまいたいな」と心の中でつぶやいたり、もっといけば信頼のおける誰かに話したり(相談したり)することは往々にしてあるように思います。

それを心の中でつぶやいたり信頼のおける誰かに密かに相談している内は「誰だって時には弱気になることもある」程度で済まされる話なのだと思うのですが、それを「インターネット」という媒体を通じて社会に発信した途端に、「弱気」云々の話では済まなくなってしまいます。

実名で書いていたり、もしくは匿名であっても見る人が見ればそれが誰だか分かるようなケースの場合、その文体がどれだけ「少しつぶやいてみた」的なものであっても、インターネット上で「公開」する以上、ただ事では済まなくなってしまうのだと思うのです。

今回の件に限らず、有名な方が辞意を表明して撤回したり、もしくは不適切な発言をして謝罪したりという騒動を見るたびに、いつもそのようなことを感じています。

おわりに

私は現在の仕事(新卒から約二十五年やっている仕事)を、サラリーマンを経て現在はフリーランスでやっていますが、上で述べたような意識でやっているつもりですし、間違っても「辞めたい」とか「もう辞める」みたいな話を他人にしたことはありません。

また、サラリーマン時代に非常に世話になったと思っていた方たちとは訳があり十年ほど前に全て縁が切れてしまい、当時それは非常に寂しい気もしましたが、やはり自分の能力が最大限活かせるステージだと選んだものが現状なので、そのことに関しての後悔もありません。

そのようなことも改めて思い出しました。