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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

非モテでも結婚出来た私にとっての「努力」とは

私の考え 結婚や家族のこと

「仕事の努力」と「結婚」(相手探し)の努力の違い

私(45歳男性)の現在の仕事はフリーランスでして、現在では結構な所得がありますし、また技術を身に付ける為の努力はサラリーマン時代も含めてかなりやってきたという自負もあります。

ただ、新卒で就職して働き始めた際に(設計のような仕事)、想定していた分野とはかなり違ってはいたのですが、やり始めてすぐに面白みを感じるような「自分に向いている感」がありましたので、どれだけ長時間働いて努力したと言っても「好きなことを夢中になってやっていただけ」という側面もあると思っています。

一方、「結婚」(相手探し)に関しては明らかに自分の苦手分野であり、上で述べた「仕事の努力」とは、かなり異なるように思います。平たく言えば、「結婚相手を探す為に色んな女性と出会う」こと自体は基本的に面白くない訳で、出来るだけ早く相手を見つけて、「探す」という行為それ自体は一刻も早く終わらせたかったのだと思います。

「自分は結婚がしたい」という思いに正直に頑張った

「出会い系サイト」(真面目な交際相手や結婚相手を探すサイト)で相手探しをしたのですが、基本的にずっと非モテであった私のような男が三十を過ぎて、更には当時は高給でも何でも無かったどころか体調面により仕事も忙しくない時は休んだりしていた状況でしたので、「出会い系サイトで誰かと知り合って結婚までするなんて、普通は難しいのだろうな」とは思った訳ですが、普通は難しくてもダメ元でも何であっても「自分は結婚がしたい」という思いに正直に頑張った結果、妻と知り合い結婚出来たのでした。

それは「仕事で努力しながら技術を積み上げている」というような達成感、充実感を伴う頑張りの時間とは全く異質のものなのだろうと今になっては思います。

誰かと出会ったけどダメだった、という後には基本的に達成感も充実感も無く、「ダメだった」という負の感情しか残らない訳で、それを振り切って次を頑張るしか無い訳です。

それでも途中で諦めることなく妻と知り合い結婚することが出来たのは、以下のような考えが私の根底にあったからかも知れないと改めて思います。

私にとっての「努力」の意味

実は私は「スポ根マンガ」的な「努力や根性」が嫌いです。

小学生から中学生にかけてずっと野球をやっていたのですが、どれだけ努力しても上手くなれずレギュラーにもなれませんでした。

ボールが「気合入れたら打てる」とか「取れる」とか、努力と根性さえあれば上手くなれるとか、どう考えても「有り得ない」ということを痛感した次第です。

逆に、その後の高校受験での努力が上手くいったこともあり(受験半年前の模擬テストでの自分の偏差値が53だったものを半年の勉強で65まで上げて志望校に合格した。数字は少し曖昧です)、またその後にも報われたり報われなかったり色んなことがある中で、以下のような考えが自分の中に出来上がったのだろうと思っています。

「努力」それ自体が全く無意味とまでは言いませんが(例えば私なら野球は上手くならなかったが基礎体力は身に付いたし、そもそも生き抜くための根性(我慢)を覚える良い機会でもあったと今になっては思う)、「自分は頑張ったのだから」とその部分で満足してしまっては絶対にダメなのであり、自分が最初に目指した「結果」に到達することこそが一義的なものであると、成人する頃にはそのような考え方が固まっていたように記憶していますし、そして今でも基本的な考え方は変わりません。

以上は「人はこうあるべきだ」と一般論を言いたい訳ではなく、「自分はこうありたいと思っている」という話となります。

おわりに

繰り返しになりますが「努力」それ自体が全く無意味とまでは思いません。

また、人生において何でもかんでも目一杯「努力する」必要があるとも思いません。事柄によっては「少し頑張ってみたけどダメだから諦める」ことも普通にあって良いように思います。

ただ、人生には要所というか「頑張りどころ」が必ず誰にでもあるのだと思います。

そしてそれは人それぞれ考え方(価値観)や得手不得手により様々なのだろうと思いますが、「結婚」(相手探し)というのは私にとっての最大の「頑張りどころ」だったのかも知れないと、改めてそのように思いました。