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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

「日本死ね」という言葉に対する嫌悪感に、「反日」も「愛国」も関係ないと思った話

以下の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

反日」も「愛国」も関係ないと思った

私は「日本死ね」という言葉にかなりの嫌悪感を抱きますが、それはその言葉が「反日的だから」という理由かと言えば、少し違うように思います。

すなわち、私が取り立てて「愛国者だから」嫌悪感を抱くというような話では無いように思います。普通の一般庶民として普通に嫌悪感を抱く感じだと思います。

問題提起の為なら言葉を選ばなくても良い、とは思えない

何かの問題を提起する際に、公共の場で用いるのにふさわしくないような言葉を「耳目を集める効果が高いから」という効用を優先して用いることが許される行為なのか否か、という部分が価値観の分かれ目のように感じています。

すなわち、「日本死ね」という言葉に対して「本来的には公の場での使用を慎むべき言葉だ」と感じるということ自体に関しては、ほとんどの方々の共通認識だと思うのです。

ただ、その言葉自体は「本来的には公の場での使用を慎むべき言葉だ」と思いながらも、問題提起の部分の効用が高かったので今回は良しとして考えるのか。

それとも、「結果が良ければ過程はどうでも良い」なんてことは決してなく、逆に正しい問題提起こそ「正しい言葉」で為されるべきだと思うし、そもそも目的や結果がどうであろうと「本来的には公の場での使用を慎むべき言葉」は原則的に慎まれるべきと考えるのか。

大きく分けるとその部分に「分かれ目」があるように感じました。そして私は後者なのだろうと自分では思っています。

おわりに

そもそもこの言葉が「流行したのか」と考えると、流行に疎い私でも知っている言葉ですので「全く流行していない」という訳では無いのだと思いますが、「日常生活において多くの人が口にするので身近でも聞いたことがある」というような意味での流行は全くしていないというのが私の実感です。

そしてそれが本当であれば、どれだけネットやテレビなどで聞くことが多かった言葉(フレーズ)であっても、ギャグなどの普通の流行語とは異なり、「日本死ね」なんて間違っても自分が口にすべき言葉じゃないと考える人がほとんどであるということであり、それが多くの日本国民の「常識であり良心である」のかも知れないと改めて思いました。