kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「匿名でブログを書く」ことの意味

最初に「匿名」の定義

以下に辞書サイトを示します。

dictionary.goo.ne.jp

以下の記述での「匿名」とは、上の辞書サイトの『本名を隠してペンネームなどの別名をつかうこと』という意味で記しています。

ずっと「匿名」でブログを記している私

この「はてなブログ」を始めてからはまだ二ヶ月と少しですが、以前から色んな場所を転々としながら、また過去の記事は残していないものが大半ですが、私はずっとブログを書いていまして、「毎日のように書く」感じとなってから既に五年以上経っています。

そして、実名で書いていたことは一度も無くて、ずっとハンドルネームで書いています。現在なら「kazu-t」ですが、「T-kazu」という名前の時もあり、今までそのどちらかを使っています。

「匿名」と言いながらも思っていること「全て」を書いている訳ではない

私は思っていることの全てを書いている訳ではありません。「これを書いても不快に思う人が多い割には書く意義は低いかな」とか、「自分はこのように思うけどそれは世間一般から言えば偏見が過ぎるのかも知れない」とか、そのように感じるものは「自制」することも多いですし、そしてそれは歳を重ねるごとに増えている気がします。

それは、例えばある時事ネタに対して「家族とか本当に親しい人とリアルな会話で話していること」と「ブログで記している内容」を自分で見比べれば一目瞭然である訳です。

「全ての人に対して不快にさせない」ということは不可能だとも思っていますが、だからと言って何も配慮しないという訳ではなく、そうであっても自分の気づく範囲であっても上で述べたようなことに「配慮する」のは、公の場で意見発信する者としては当然のことであると個人的には思っています。

そして、それは当然ながら「思ってもいないようなことを書いている」というようなものでは決してありません。

自分で思っていることを、「公の場で書ける範囲、書ける表現で書いている」という訳です。

「実名」で書けない(書かない)理由

やっぱり「実名」で書いてしまうと、リアルな人の繋がりの中での配慮や恥ずかしさなどによる制約が増えすぎてしまって、書けることの制約が大きすぎるように思います。そして、そのような制約は、上で述べたような「公の場での意見発信に際する配慮(自制)」とは決定的に異質のものであるように思います。

すなわち、それは相手を慮っての配慮というよりかは「自分の立場などを守る為の配慮」である訳です。

そういう部分から「自由」の立場で意見発信出来る「匿名でのブログ」というものに、私は非常に魅力を感じているのだと思います。

「匿名」であっても「社会と関わっている」という事実

「匿名」である訳ですから実名とは異なり、その名前はいつでも捨てることが出来ますし、全て捨ててしまって一から「全く別の名前」での再出発も可能です。

そういう意味では大した自制など必要ないとも考えられるかも知れません。

それでもなお、私に限って言えば、それが「匿名」である「kazu-t」であっても、その立場として「社会」と関わっていることは事実であると思っていて、そしてそこに一定の「責任」も感じているのだろうと思います。

最後にお礼

以上のような感じで今後もブログを書き続けると思います。

いつもお読み頂いている皆様、本当に有難う御座います。