kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

自分の存在と「仕事の技術」は不可分なのかも知れない

私自身の存在は、例えば家族の中では「存在すること自体」に意味があるのかも知れません。

もちろん、現状では「生活する為のお金を稼ぐ人」という役割も大きいですが、では仮に病気などでお金が稼げなくなったら「不要」とされるかと言えば、そうでは無いだろうと、一応自分ではそのように思っています。

すなわち、お金を稼いできてもこなくても、妻にとっての「夫」という立場や、子供にとっての「父親」という立場としての、何がしかの存在意義があるのだろうと、そのような感じで考えています。

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しかしながら、仕事の世界での自分の立場がどうかと考えると、随分と違うように思います。

大きな組織に属している訳でもなく、一匹狼としてフリーランスで働いている立場です。

「何もしなくても居てくれるだけで意味がある」などと誰かから慕われたり、頼りにされたりしている訳では決してありません。

ずっと「断らなければ捌ききれないほど」の仕事の依頼がありますし、また世間話をするような間柄の取引相手も多数居ますが、それはあくまで私の「仕事の技術力」が買われての結果なのであって、例えば私に何かあって十分な成果が発揮出来なくなれば、縁が切れてしまうかも知れない間柄なのだろうと思います。

私の経歴や人柄などは(全くでは無いにしても)基本的に無関係なのであって、基本的には「技術力」を買われているのだと思います。

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仮に仕事を全くしていなくても、「家族を営んでいる」だけでも社会的には意味があるのだろうとは思いますが、私に限って言えば、仕事を通じて社会に関わっている部分も、同じように「大きな意味を持つ」ものだと考えています。

そして私の場合は、その関わり方は付随する要素がほとんどない「純粋な仕事の技術力」によるものなのだろうと思います。

敢えて悪く言えば、私の人柄も性格も、優しさも何も関係の無い、「純粋な技術力」によってのみ勝負し評価されている訳です。

そのように考えると、仕事に限って言えば私「自身」はあまり関係なくて、あくまで発揮している「私の技術力による結果」のみが評価され社会に役立っているということなのだと改めて思いました。

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もしかしたら、仕事が十分に続けられないほど健康を害してしまう可能性だってありますし、仮にそのようになってしまったら「社会の中での自分の存在する意味」はどうなのだろうと、どこにも属さず仲間も作らず一匹狼でやっている私だからこそ、そのように考えてしまうのかも知れません。

そして、だからこそ元気に働ける限りは、可能な限り自分の技術力を発揮し、それを仕事に役立てることによって、現在を生きる人もしくは将来を生きる後世の人たちに「豊かな社会」を残していくことに貢献したい、というようなことを考えるのかも知れないなと、そのようなことを改めて思いました。