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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

「学歴」と「普通の生き方」

私の考え 仕事や労働など

引用まではしないのですが、仕事と学歴の関係について書かれていた記事をいくつか続けて読んでまして、思ったことです。

良くも悪くも「普通の生き方」

学歴をいわゆる「肩書き」として考えて、少しでも高い学歴を身に付けたいというような生き方は、良い意味でも悪い意味でも「普通の生き方」なのかも知れないな、と思いました。

よく「高学歴なのに稼げない人」のことが記事などで挙げられていますが、個人的な印象としては「そんな人は稀であって滅多に居ないのではないか?」なんて思ったりもするのですが、仮にそのような人が一定数居たとして、その本人が「○○大学を出たのに」大企業等に就職出来なかったとか収入が少ないと嘆いているとすれば、それは「普通は○○大学を出ていれば、それなりの企業に勤めることが出来てそこそこの高収入があって当たり前だろう」というような、「普通は」という観点にとらわれているのだろうと思います。

すなわち、良くも悪くも自らを「普通」の範疇に当てはめて考えている訳です。

そうではなく純粋に何か学問を究めたいから「○○大学」に進んだのであれば、その学問の究め具合と「就業や収入」は基本的に無関係である訳で、自分の勤める会社の規模や収入が自分の想定より低い場合はその仕事に関する自らの能力や、もしくはコミュニケーションなど普遍的な能力などの「自らの能力」の不足もしくは不当な評価(正当に評価されていないこと)を嘆くのであって「自らの学歴」が評価されていないことを嘆くわけがありません。

私の考える「普通」とは

いわゆる「見栄」のような部分での「学歴」とか「勤め先の企業」などに関してはまた別の話なのかも知れませんが、「仕事で金を稼ぐ」という部分だけを考えれば、私の考える「普通」は、学歴など関係なく「仕事がよく出来る人が、お金も多く稼げる」という単純なものです。

「仕事が出来る」の意味は、純粋に多くの数量をこなすという類のものから、当面の仕事の数量よりも周囲から将来性を期待されるようなものまで様々ですが、勤めている会社なり顧客など直接的な利害関係者から「仕事が出来る」と評価されるというような意味です。そしてそのような評価が高いほど「多くのお金が稼げる」というのは極めて当たり前の話ではないか、なんて思うのです。

特に若い内は、仕事の実務でバリバリ仕事が出来るという部分では勝負出来ない業種も多くあると思いますが(ある程度の経験や年数が必要になるという意味)、例えば自分の考えは明確に相手に伝えるとか、自分の考えをしっかり持っているとか、前例主義にとらわれない提案力があるとか、何か「周囲の人を惹きつけるもの」はあるはずで、それが多くある人と何もない人を比べれば勤め先や収入に差が付くのは極めて当たり前の話であるのだろうと思う訳です。

どれだけ立派な学歴があってもそのような部分が不足している人は、(皆が皆では無いにせよ一定数の人は)就職なり収入なりで苦労するのは極めて当たり前の話であるように思いますし、逆にまともな仕事の経験も無いのに「○○卒という肩書きがあれば、人並みには稼げるだろう」なんて思えるほうが私にとっては理解しがたい感覚です。

おわりに

以上で述べたことは「建前」的な部分もあって、実際には個人の能力とは別に「○○卒」という肩書きにより就職先や収入が有利になるのは「平均的」には事実なのだろうとも思っています。

しかしながら「平均的」な事象である以上はそのレールの上に自らも乗ろうと思えば自分自身も人柄や能力その他が「普通」の範疇でなければ話がおかしい訳で、その部分は「自分は自分らしく自分なりに」なんて言っているのに「就職や収入」という結果だけは「平均的」を求めるのは、少しおかしな話であるようにも感じます。

そのような意味で、肩書きとしての「学歴」で平均的な結果を得ようと勝負するような生き方は、最低でも私自身には全く馴染まないものだと改めて思いますし、従って私は学歴も職歴も関係なく(大学にも行ってませんし大企業に勤めたこともありません)最終的にフリーランスという生き方に行き着いたのかな、なんて改めて思いました。