kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「仕事好き」と「休日」

仕事好きであっても、やっぱり「ずっと休みが無い」のは辛い

この土日も普通に仕事をしています(自宅でのフリーランス)。

丸一日普通に休んだのは、確か正月に頃に二日間ほどあって、それ以降は休んでいないので、既に「まともな休日が無い」状態で一ヶ月近く経ちますし、もう暫くは続くだろうと思います(予定)。

そして、それは別に珍しい訳ではなく、私にとっては「いつものこと」でもあります。(年中休みが無い訳ではなく、普通に休日がある時期ももちろんあって、ただし繁忙期になれば一ヶ月前後休みが無い時も別に珍しいことではない、という意味です)。

近年では「ブラック企業」だとか「過労」などのワードをよく目にしますし、仮に私が今でもサラリーマンであれば、「自分は働きたくても、会社の法令順守等の理由で一定時間以上は働けない」ということになっていたかも知れませんが、私はフリーランス(言葉通り個人”事業主”)なので、自分が働きたいだけ働くことが出来ます。

私はサラリーマン時代から現在まで基本的にはずっと同じ仕事をしています。サラリーマン時代(いわゆるサラリーマンは辞めて既に十年以上になります)も今と同じように長時間労働でしたが、当時も現在も基本的に仕事が「好き」でやっています(設計のような仕事です)。

ただ、「好き」でやっているとは言え、一ヶ月以上休みが無いような状況になってくると、やっぱりしんどくなってきますし、それこそ仕事の多さに「嫌になる」という気持ちも出てきます。やっぱり週に一日程度は完全な休みが欲しいと思います。

好きでやっている仕事とは言え、仕事である以上はかなり重い「責任」が伴いますので、どれだけ好きでやっていても「精神的に疲れるもの」なのだろうと改めて思います。

しかし「働きたくない」という気持ちとは全く違う

じゃあ、出来れば週に一日より二日とか三日とか、少しでも休みが多いほうが良いのか、もっと言えばお金の心配さえ無いのであればずっと休みたい(=働きたくない)のかと言えば、自分に限って言えばそれも少し違うように感じています(と言っても「働かなくても食っていける」ような大金を手にしたことは無いので想像に過ぎないと言われればその通りですが)。

やっぱり自分は現在の仕事を通じて社会と関わりたいと思っていますし、自分の技術を見込まれて期待され、それに応える仕事をして一定の評価を受け、それに対する報酬を受け取りながら、それを原資として社会生活を営むことが出来ているということに関してかなりの充実感を感じているように思いますし、更にはその仕事の内容自体も「好き」である訳ですから、それは「お金”だけ”の問題」とは少し違うのだと思うのです。

平たく言えば、「家計の赤字を出さずに暮らす」だけ考えれば現在の収入は「明らかに多すぎる」訳ですが、それでも仕事量を減らさないのは、もちろん老後等の蓄えをしたいなどの理由もありますが、基本的には「仕事の依頼」があるからであり、その期待には、家族との生活や自分の健康などを大きく損なわない範囲で「可能な限り応えたい」と続けている結果が、現在の忙しい生活なのだろうと思います。

おわりに

家族旅行など少し長い休みが欲しい時もありますが、それは相手の都合で「仕事がヒマな時」に行けば良いので(実際にそうしています)、そうではなくて「ずっと延々と仕事があるような繁忙期」において「忙しいのは分かっているが、少しは休みの日も無いと精神的に辛いので、休日が欲しい」と思う頻度が、私にとっては「週に一日」なのですが、考えてみればこれは本当に「人それぞれ」なのだろうと改めて思いました。

従って会社などの組織を運営するのに「人それぞれ」で皆が意見を言い合っていたら何もまとまりませんので、一定の目安を設けるという意味で「法律」や「社内規定」などにより規制やガイドラインなどを設けることには意味があるのかも知れないな、と思いました。

そして、多く働きたくても逆に少なくしたい場合でも、そのような平均的な「目安」に縛られたくない人は、フリーランスなど「組織に属さず」やっていくのが良いのかも知れません。

ただし、私はフリーランスですが繁忙期は自分が望む「週に一日の休み」も取れませんし、逆にヒマな時期は(収入的に困るような頻度ではありませんが時には)「一週間ほど仕事が無い」みたいな時もありますので、フリーランスとして「組織に属さず」やっていても、他の組織(取引先の会社)と関係を持ち、また一定の社会的要請に応えるような仕事である以上は、「完全に自分の思い通りになる」ということは、最低でも「仕事」に限って言えば無いのかも知れないと、そのようなことも思いました。