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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

仕事の「専門バカ」と、「知識と教養」

私の考え 仕事や労働など

はじめに

まずは、ここで言う「専門バカ」の定義を記しておきますが、ある仕事に関して徹底的に深い知識や技術力などがあり、またそれを基にアウトプットされる「結果」も顧客や関係者から高い評価を受けているが、自分の専門外の事柄に関しては大した知識も教養も無い、というような意味となります。

私は「専門バカ」だと思う

と言う訳で、私は自分自身を仕事に関する「専門バカ」だと思っています。

知識や教養なんて本当に何も無い、という感じかと思います。大学にも行ってませんし、日々の生活でも新聞ぐらいは読みますが(朝刊を購読している)、本なんて「多少は読む」程度だと思いますし、世の中のことなんて本当に何も分かっていない「一般庶民」だと思います。

しかしながら仕事の専門性の部分では、知識的にも、技術的にも「誰にも負けてない」という自負もありますし(とある設計のような仕事です)、現在はフリーランスになって九年目ですが日々依頼される仕事量や毎年受け取っている報酬などから客観的に考えても、そこそこ高い評価を受けることが出来ていると思っています。

「専門家」に一般的な「知識と教養」を求めるか

思えば、自分が顧客の立場になって考えた時に、例えば自分が美味い料理を食べたいとして、料理人に求めるのはその料理の「専門的な知識と技術」なのであって、その料理人が一般的な「知識と教養」を持ち合わせているかなんて、原則的には無関係であるような気がします。

もしくは、クルマの修理や調整を依頼するのにクルマの整備の専門家にお願いする際でも同様の話です。

私自身が「仕事をする側」として、顧客から見られている際にも、全く同様の話なのだろうと思います。

「労働者」としての覚悟と矜持

支配層と言うか資本家と言うか、そういう立場の人と、その人たちから使われる「労働者」という対比で考える見方があります。

私は現在はフリーランスで誰かから「使われている(雇われている)」訳ではありませんが、原則的に「労働者」であると思っています。

すなわち、直接的に雇用「契約」をしていないとか、働く時間や量などを自分で好きに決められるという意味では「フリー」なのですが、別に自ら何か新しい価値観を世の中に生み出したりしている訳ではなく、社会の中のある既往の「仕事」の枠組みの中で、現場の人間としてそれに対する労働を奉仕する立場という意味では、別にサラリーマンと何も変わらない訳で、そういう意味では確実に「労働者」である訳です。

しかしながら、では「誰がやっても同じ仕事を、たまたま自分がやっている」と思って居るかと言えば決してそうではなく、自分ならではの専門性や技術力などを提供していると思っているし、また収入等からもそのような評価を受けていると自覚もしています。

そして、世の中が移り変わってもその仕事の中で一定の評価を受け続ける為の勉強などの努力は惜しみませんし、自分で言うのもなんですが、これはどんな業界でも同じだと思いますが、現在では学歴も何の肩書きもない人間がその専門性だけで食っていくのに並みの努力では「行き詰る」ことも普通に有り得るような世の中だと思いますが(平たく言えば右肩上がりの経済成長の時代では無い)、そんな中でも「ずっと食っていける」だけの専門性を磨き続けているという自負もある訳です。

一般的な「知識と教養」なんて何もない一般庶民の私ですが、それが「労働者」としての私の覚悟であり矜持である訳です。

おわりに

何かの記事を読んでいると「仕事の技術だけ磨いていても知識と教養が無ければ云々」みたいなことが書いてあって、確かに将来は支配層というかサラリーマンでも「経営者」的な立場を目指す人なら確かにその通りなのかも知れませんが、はっきり言えば世の中の全ての人が「経営者になりたい」と考えそれを目指すような世の中なら社会は成り立たない訳で、いわゆる「知識や教養」とは無縁であってもその仕事に対する専門性の高さを磨き、また勤勉な労働態度により優れたアウトプットを提供し続けるような、「目立たないが真面目である労働者」も多く居るからこそ、社会は成り立っているのではないかと思い、今回のブログを記した次第です。