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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

「ぼっち」と「仕事が出来る出来ない」は無関係の仕事もあるのでは?と思った話

私の考え 仕事や労働など

以下の記事を読みました。

news.livedoor.com

はじめに

私は上記記事を読んだだけで大元のテレビ番組は見ていませんし、また坂上忍さんは「俳優」だったと思いますが、その「俳優という仕事」の舞台裏がどのようなものか全く存じ上げませんので、この坂上忍さんの発言を「批判」したいというような気持ちは全くありません。

単純に、記事の以下の囲みの部分(上記記事からの引用です)、

しかし、坂上さんは、「『俺、普通にしてたら余るんだ』というなら、余らないように努力するのも一つ」とピシャリ。さらに、「社会に出ると、余ったら仕事ねぇから」とクギを刺した。

という部分を読んで、思ったことを簡単に記します。

「ぼっち」と「仕事が出来る出来ない」は無関係の仕事もあるのでは?

私は現在はフリーランスになって九年目ですが、その前の個人事務所勤務の更にその前は、新卒から十年ほど普通のサラリーマンをしていました。

はっきり言えば私は同世代の人たちから見れば人付き合いが悪い(無い)というような点で「浮いた存在」という感じでした。

同世代の人たちが色んなグループを形成して、バーベキューなどに行ったりコンパに行ったりと色んな「若者っぽい」ことをしている中で、私は九年間、ついに一度も参加したことがありませんでした。

職場での日常会話や仕事上必要な会話はもちろんしますし、また日々の昼食ぐらいは食べに行くこともありましたが、それ以上の「遊び」的な付き合いをすることは全く無かった訳で(それこそ「飲み会」さえ原則的に不参加です)、それは自ら全く望んでなかったというのも事実なのですが、基本的に「誘われることも無かった」というのもまた事実である訳です。

ですが、仕事はそれこそ掃いて捨てるほど抱えている訳で、理由は単純で自分がやった仕事の内容に対する社内の上の人や顧客の評価が高かった訳です。

そして私自身、同世代の人たちと遊びまわりたいなんて全く思わないし、それよりも仕事をしているほうが余程楽しかったので、年数を重ねるごとに上で述べたような状況の色合いは濃くなっていったのでした。

と言う訳で、

「ぼっち」と「仕事が出来る出来ない」は無関係の仕事もあるのでは?

と単純に思いました。

おわりに

坂上忍さんの発言の真意は分かりませんが、例えば「出来るだけ『ぼっち』にならないようなコミュニケーション能力があったほうが、社会に出てから困らなくて済む(可能性が高い)」というような意見は確かにその通りだと思うし、反論する気持ちは全くありません。

しかしながら、それは社会全体を大きく見渡した際に「平均的」に言えることに過ぎないとも思います。

コミュニケーション能力など最小限であっても技術力や思考力があれば重宝されるし、逆にそれが無ければコミュニケーション能力などあっても大して評価されないような仕事は世の中には山ほどあるように思いますし、私がしている仕事(設計のような仕事)もその内の一つなのだろうと思います。

結局私は「出来るだけ誰ともつるまず単独行動を好む」部分が行き着いてしまって「一人きりでのフリーランス」になってしまっていますが、それで別に生活に困る訳ではありませんし、それどころか自分の能力を活かし「仕事」を通じて社会に貢献することも出来ていますので、そのような自分の人生には十分に満足しています。

ただし、何事であってもやっぱり「最小限」は必要である訳で、例えば私なら初めての相手と会った時に普通に世間話をしながら本題に入っていくとか、相手に嫌われるほど不快な物言いはしないとか、サラリーマン時代も含め今まで仕事をしてきた自分を客観的に見ても、そのような「最低限度」の社会性はあるとはあると思っています。

最低でも私の仕事に限って言えば、その「最小限」があれば日常生活や遊びの部分でどれだけ「ぼっち」でも、それは無関係であるように改めて思いました。