kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「生きるために仕事をしている」のか、「仕事をする為に生きている」のか

本日の土曜日も仕事(自宅でフリーランスでやっている設計の(ような)仕事)をしていました。既に一ヶ月以上「まともな休日」は無くて、明日からも暫く続く予定です。

ちなみに本日は昨夜から夜通しで朝の四時まで仕事をして、そこから四時間ほど寝て、起きてから午前中は息子の部活の試合を見に行って、昼頃帰宅してまた仕事をしている(少し昼寝もしました)、という感じで過ごしています。

「生きるために仕事をしている」のか

「生きるために仕事をしている」という意味は、すなわち生活していく為にはお金が必要なので、そのお金を稼ぐ為に仕事をする、というような意味なのだと解釈していますが、これは私には(最低でも多忙さに焦点を当てて考えれば)あまり当てはまらない気がします。

生活していく為に必要なお金だけならば、現在の贅沢レベルを大して落とさなかったとしても(と言っても庶民なので大した贅沢はしませんが)、収入は現在の半分か六割ほどで足りると思います。老後の不安などに対する貯蓄を考えても、多くても現在の八割ほどあれば「十分」なのです。

しかしながら、毎年毎年それ「以上」の仕事をしているのは、相手から依頼のある仕事を、(全く断らない訳ではなく限界もありますが)「現在の自分の体力や生活内容ならここまでが限界だろう」という限界までやっているからであって、それは「せっかく自分の能力が人から期待され、また仕事を通じて社会が豊かになることに貢献出来る訳だから、出来るだけ頑張ろうか」というような思いが大半を占めている訳で、その領域の仕事を請けるか「やっぱり限界なので断るか」を考える際には、はっきり言って「日々の生活費」のことなど基本的に頭に無い訳です。

「仕事をする為に生きている」のか

ですが、では「仕事をする為に生きている」のか、すなわち自分の能力を活かしながら社会を豊かにする為の事柄に関わっていくことを主目的として生きているのかと言えば、そうも言い切れない気がします。

やっぱり結婚して家族が居て、その家族と共にある程度は豊かな生活をしたいし子供にも貧しい思いをさせたくないというような思いは「仕事の動機」として必ずあるように思いますし、そういうものがあるか無いかで「仕事を頑張れる度合い」は必ず変わってくるように思います。

おわりに(まとめ)

と言う訳で、「生きるために仕事をしている」のか、「仕事をする為に生きている」のかは簡単に割り切れる問題では無いように改めて思いました。

あと、社会が豊かになる為の貢献というのは、もちろん「今を生きる日本人」の為に貢献する話でもありますが、同時に「後世を生きる人たちに少しでも豊かな社会を残す」という意味での貢献でもある訳であり、そのような部分を強く意識するようになった理由の大きな一つは、「実際に自分にも子供が出来たから」だったと私に限って言えば確実にそのように言えると思いますので、そのように考えると、例えば「家族と仕事はどちらが大事か」と単純な割り切りで考えることは難しい問題なのかも知れないと改めて思いました。