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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの男です。色々と思ったことを記します。

「仕事の評価」と「お金(稼ぎ)」

私の考え 仕事や労働など

とある記事を読んでいて思ったことを簡単に記します。

「稼ぎ」は「仕事の評価」における一定の尺度であると思う

お金儲けのことだけを考えていると「金の亡者」と否定的に呼ばれたりしますが、やっぱり自らの仕事の「社会の中での有用性」を測るのに「どれだけ稼いで(稼げて)いるか」というのは、一定の尺度になるように感じています。

例えば音楽でもなんでも、何か「自らの夢を追って」生きていく人の存在を否定する気持ちはありません。

よく、有名になった人が有名になる前の「極貧時代」のエピソードを披露したりしますが、その人は運や実力があって有名になり稼げるようになったのでしょうが、その他の圧倒的多数の人たちは「稼げないまま終わる」のだろうと思います。

皆の「稼ぎ」は社会を維持する為の費用の源泉

稼げないままであっても「極貧」を自らが我慢し乗り切っていくのだから本人の勝手じゃないか、また自らの夢を追いファンの一人でも二人でも居てそのファンに夢や希望を与えられているのだとしたら立派じゃないか、という意見もあろうかと思いますが、はっきり言って日本国民の皆が「一人か二人(ようは極小数という意味)のファンの為に何かを行い夢を追い、十分に稼げないまま暮らしている」という状態だと社会は成り立ちません。

「お金」という観点で見てみた場合、医療や国防をはじめとした社会の中の公的サービスは基本的に全て「お金」で成り立っており、その原資は当然ながら国民一人ひとりが納める税金です。

その税金の総額(いわゆる税収)というのは基本的にGDP(国内総生産)に比例しておりまして、またGDPというのは基本的に(平たく言えば)「全ての労働者の収入の合計」と同義です。

従って労働者の一人ひとりの収入が多いほどGDPは多くなり、それに比例して税収も上がりますし、その逆もまた然りです。

従って労働者の全てが「夢を追い極貧」みたいな稼ぎ(収入)しか無いとするとGDPは半減してしまい、比例して税収も半減し今のままの公的サービスは維持できなくなります。

「お金」とは別の「労働」という観点で考えても同じこと

上記はマクロ経済に関して専門でも何でもない素人の私が考えた内容なので、特にGDPに関する部分で不正確な内容があれば申し訳無いのですが、申し訳無いついでに更に書き進めます。

上記のように「お金」という輪郭で切ってしまうと「そもそも物価(金額)が云々」みたいな話で何となく「お金なんて無くても(社会全体で言えば十分な税収が上がらなくても)何とかなる」みたいに感じてしまったりもすると思うので、お金とか税金とか公的な仕事か否かなど全く抜きにして単純に「労働」という切り口で考えます。

多くの労働者が行っている「仕事」というのは、国民の「十分な需要」で成り立っています。例えば「美味しいものを食べたい」という需要に対して飲食店が存在しそこで労働者が働いている訳ですし、どんな仕事でも基本的には同じです。そして「十分な需要」があるからビジネスとして成り立っている訳です。

「十分な需要」というのは言い換えれば「多くの国民が望むこと」なので、すなわち「十分な需要」があるビジネス(ようは普通の仕事)の場で労働者として働くということは、すなわち「多くの国民が望むこと(望むサービス)」を満たしているということを意味します。

これが例えば「自分の音楽のセンスは絶対に需要があるハズだ」と言ってずっと夢を追っているが全く売れない人というのは、例として分かりやすくする為にファンを「ゼロ」と極論して書けば、どれだけ自分は頑張っているつもりでも「誰の需要も満たしていない」ということは紛れも無い事実である訳です。

そして少しはファンが出来たりしてほんの少しの収入が出来たり、またほんの少しだけアルバイトをしたりしながら「ギリギリ極貧で食っていく」程度の稼ぎが出来たとしても、それは一般的な労働者と比べて「自分が貧しい」という部分のみならず、それと比例して「一般国民の需要を満たす行為に貢献して(出来て)いない」というのが基本的な構造であると私は思っています。

おわりに

私も「金の亡者」になんてなりたいと思いませんし、またフリーランスで仕事をやっていますが稼ぎよりも自らの「こだわり」を優先する時も少なからずありますが、それでも上で述べたようなこと、すなわち「自分がどれだけ技術者としてこだわった逸品を作ったとしても、それが国民の誰にも望まれていないのならば、それは『国民の需要を満たす』という観点においては、何も役立てていないということと同じではないか?」とも思ったりする訳です。

もちろん、「現在」の国民には理解出来なくても将来的に理解されるような「素晴らしいモノ」を考え出そうというような姿勢は必要だと思います。しかしながら一方で「将来には…」と一生言い続けてついに一度も理解されずに終わってしまえば、それは自分の「独りよがり」であるようにも思う訳です(後世になってから評価されるような「世紀の大発明」でも無い限り)。

そのあたりは常にバランス感覚が大事と言うか、特に「こだわり」を持って仕事をしていればしているほど「独りよがり」の方向に陥っていないか自ら顧みる必要があるのだと思っていまして、その際に年間を通じた(年間じゃ無くても数年間でも同義ですが)「収入」も意識して、その額が「世間一般」と比べてどうなのかと意識することは、専門性のある仕事(こだわりが大切な仕事)を行う立場であっても、特段悪いことでは無いのではないかと、個人的にはそのように考えています。