kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「残業(労働)時間を減らす言説」について改めて思ったこと二点

以下の記事を読みました。

news.livedoor.com

はじめに

上の記事の内容は、平たく言えば現在のメディアの論説のトレンドである「長時間労働=一方的な悪」というものに対する疑問の投げかけだと理解しているのですが、個人的には「確かに言っていることはよく分かる」と感じる部分が多いですし、また私自身もずっと長時間労働をどちらかと言えば進んでやってきた人間ですので、この記事のような論説には「心地よさ」を感じてしまう部分もあるように思います。

ただ、忘れてはならないと感じると言うか、この記事のような論説において「抜けている」と思える点は、実際に「長時間労働」が主因となり心身に不調を来たしたり、最悪の場合は死に至ってしまったりしているケースが「現実」としてある、という点だと思います。

確かに上の記事の言うように、労働時間が少なければ国力(世界の中での日本という国の競争力)が落ちるかも知れないし、また志の高い若者にとっては「スキルを身に付けるチャンスが減る」というマイナス面があるのかも知れません。

だから「労働時間は減らせば減らすほうが良い」と思考停止的に考えることは良くないという提言はよく分かるとして、しかしながら「だから現状(例えば昭和の時代)のまま」にしてしまったら、上で述べた『実際に「長時間労働」が主因となり心身に不調を来たしたり、最悪の場合は死に至ってしまったりしているケースが「現実」としてある』部分を「放置」することになってしまいます。

それは「絶対にダメ」と言えるレベルでダメなことだと思いますので、仮に『「労働時間は減らせば減らすほうが良い」と思考停止的に考えることは良くない』というのが正しいのだとしても、では一定の長時間労働を認めながら、心身に不調を来たしたりする労働者が生じないようにするにはどうしたら良いのかという部分を考えることが肝要なのだろうと思います。

その部分の具体的な提言は私には出来ないので記さないのですが(素人のため)、私の基本的な思いとしてはそのように考えているという意味で最初に記させて頂きました。

以下、「長時間労働は是か非か」どちらの立場だとかに関わらず、もっと単純な内容として改めて気付いた二点に関して記します。

自分が労働者として「労働時間を減らす」社会であるということは、自分が消費者(客)の立場の時にサービス等を提供してくれる相手(労働者)の労働時間も減る社会なので、基本的に消費者としての自分の利便性は低下する

上で紹介した記事の一部を、以下の囲みに引用します。

東海銀行専務で、名古屋大学客員教授の水谷研治氏が先行きを憂う。

「働く人の立場からすれば、労働時間を減らしてほしいというのはわかります。誰だって楽をしたいですから。

ただ、そこで考えてほしいのは、働かないで豊かさだけを得ることができるのか、ということ。豊かさはいらない、自分の時間がほしいというのなら、それでいいでしょう。

しかし、働くのは嫌だけど、豊かな生活がほしいというのは、虫がよすぎます。

仕事の時間を減らすべきだと考える人は、今の日本の豊かさが今後も続くと考えているのかもしれません。しかし、現実はそれほど甘くない」

この引用部分を読んで、その上の見出しに書いた「単純な事実」に改めて気付きました(と言うか似た内容を少し前にプレミアムフライデーに関して記しましたので前々から思っていたことでありますが)。

平たく言えば国民は「労働者であると同時に、消費者でもある」訳ですから、労働者としての自分の労働時間を減らせば、消費者として相手の労働者からサービスを受けられる機会や量が減りますし(相手の労働時間が減るため)、これは労働時間に限らず、例えば賃金でも、最低賃金がアップし自分たち労働者としての賃金がスキル等に関わらず「一律アップ」したのであれば、消費者として相手の労働者からサービスを受ける際の料金(価格)も上がる訳です(相手の労働者の賃金も上がる為)。

もちろん、労働時間なら例えば社会基盤や科学技術の向上などにより昔と比べれば労働生産性は上がっている訳ですが、その分だけ労働者の労働時間が減っていれば消費者としての利便性はチャラで何も上がらない訳で、しなしながら現実には労働者の労働時間はそこまで減らしていないので、消費者の利便性は、例えば昭和の時代と比べたら「有り得ないほど向上」している訳です。

現状よりも「労働者の労働時間を減らす」方向に舵を切れば、消費者としての利便性が昭和の時代まで落ちるのか、そこまでは落ちないのかは別として、原則として「落ちる方向」に動くのは単純な「事実」なのだろうと私はそのように思っています。

なお、個人的な感想では、例えば「即日配達」とか「24時間営業」とか「年中無休」とか、消費者の利便性を優先しすぎて労働者の労働力を消耗しすぎているように感じますので、更には少子化で生産労働人口も減っていきますし、そういう「やりすぎ」を見直すことは基本的に正しい方向であるように感じています。

「無駄」な残業の定義

もう一点は「無駄」な残業の定義です。

残業はやめましょう、というような論説を読んでいると、残業は全て「無駄」であるような雰囲気の論説も少なくないように思うのですが、少し乱暴が過ぎるように感じています。

確かに「残業代が無いと給料が足りないので、ゆっくり仕事をして敢えて残業している」というケースの残業は無駄でしかありません。会社が基本給を上げるなりして、ミニマムな労働時間で同じだけ仕事をやって同じ給料を貰って早く帰るべきと思います。

もしくは、「上司が帰らないから、部下も気を遣って帰れない」なんて残業は無駄の極みでして、部下も早く帰るべきですし、それで上司が変な評価をするのであれば、それは上司失格ですので会社が処分なりどうにかすべきだと思います。

が、そのような残業が「無駄」な残業だからと言って、では世の中の残業は全て「無駄」なのか、もっと言えば「出来れば無くすべき(減らすべき)対象なのか」と考えると、それは違うのではないか?と思ってしまうのです。

単純な話、私はサラリーマン時代、設計のような仕事をしており、自ら積極的に多くの仕事をし、進んで残業や休日出勤をやっていましたが(ちなみに大半がサービス残業でした)、それは「出来るだけ経験を積んで技術力を身に付けたい」という明確な意思がありましたし、またそれを積み重ねることが出来ているという実感もありました。社内の上の方の人とか、もしくは顧客からの高い評価が聞こえてくるというようなフィードバックもありましたし、かなり充実した時間を過ごしていました。

少し「やり過ぎ」てしまって30歳の頃に少し体調を崩したりもしましたが、そのサラリーマン時代に身に付けた技術力をベースにして、立場はフリーランスに変わりましたが今でも同じ仕事でずっと安定して稼げている訳ですから、その当時の残業は無駄どころか「かなり有益」であったのだろうと自分では思っています。

同世代の人で同じような働き方をしていた人はサラリーマンを続けている人だとかなり偉い人になっていたりします。そして全く逆の「出来るだけ仕事はしたく無いし早く帰りたいだけの人」がそのような意識で20代を過ごし30歳になった頃に、前者と比べてどのような「差」が付いてきたのかを横で見ていた者として、「仕事量や残業時間なんて、減らせば減らすほうが良い」とは到底思えない訳です。

もちろん、逆に「多ければ多いほうが良い」とも思わない訳で、人それぞれ価値観や性格や職種などにより様々である、というのが単純な「事実」なのではないか?と個人的にはそのように思っています。

そして、仮に今の「若者」の中にも私の若い頃のように「サービス残業でも何でも良いので出来るだけ多くの仕事をこなしてスキルを身に付けたい」というような人が居るのなら、そのような人が「法律などによる残業(労働時間)の規制」が障壁となり満足に仕事が出来ない、なんて事態に陥ることがあるとすれば、それは一体誰が得をするのだろう?と率直に思います。

おわりに

以上、「残業(労働)時間を減らす言説」について改めて思ったこと二点に関して私見を記しました。