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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「普通」と「変わり者」の狭間で生きる自分を考察してみた

はじめに

日常会話の中で、つい使ってしまう言葉に「普通」という言葉があります。

「普通は、そんなことしないだろう」とか、

「それは別に普通のことだろう」とか、

そんな風に使います。

が、そもそも論として、その「普通」という言葉を使っている人の価値観なり考え方が世の中において「平均的」なのであれば、その人が言う「普通」の内容は世の中でも「普通」なのでしょうが、その人自身が「変わり者」なのであれば、その人が言う「普通」は世の中では「普通」でない可能性があります。

そのような観点から自分のことを考えた時、自ら「普通は」と発した内容が世の中においても「普通」なのか否なのか、もしくはそもそも自分自身は(どちらかと言えば)「普通の人」なのか、それとも「変わり者」なのか、そのようなことを考える時があります。

その辺りのことを今回は記したいと思います。

自分がどちらかと言えば「変わり者」だと思う理由

私は自分では自分のことを、どちらかと言えば「変わり者」なのだろうな、という風に思っているのですが、何故にそのように考えるのかと言えば、テレビとかインターネット等で聞く「特別な話」ではなく、実生活でのいわゆる「身近な話」として考えた場合に、「自分と同じようなケースをほとんど聞いたことが無い」ということが、あまりに多い為です。

例えば仕事ならフリーランスで一人きりで仕事をしていますが(現在九年目です)、今時「珍しい存在」では無いのかも知れませんが身近な例では聞いたことがありません。

また結婚なら、妻との出会いが「出会い系サイト」でして、これも今時は珍しくないのかも知れませんが身近な例ではほとんど聞いたことがありませんし(サラリーマン時代に噂話的に一回だけ聞いたことがある)、かつ「出会って十日ほどで同棲して三ヶ月ほどで結婚」したのですが(いわゆるスピード婚)、そんなケースもリアルな話では聞いたことがありません。

以上、人生の重要な事柄である「仕事」と「結婚」を見てみてもそんな感じなのですが、もっと些細なことをいくつか書くと、例えばサラリーマン時代、いわゆるホワイトカラーの仕事(デスクワークでの設計)で当時は老若問わず皆が皆ネクタイをしていましたが(今から25年~15年ほど前の話です)、私は一人でノーネクタイで通していました(客先に行くときだけネクタイを締める)。理由は単純に「面倒だから」で、最初の内は上司とか先輩に「ネクタイしないのか?」などと聞かれることがありましたが「別にネクタイを締める為に働いている訳では無いので」くらいの返答は平気でしてましたし、仕事の実力を付けたら何も言われなくなるハズだし言われないくらいの力を身に付けよう、みたいな考え方でした(現に暫くして言われなくなった)。

他にもクルマ関連なら、乗っている愛車はいまだにMT(マニュアル)車ですし(滅多に見ない存在となって二十年程度経っていると思います)、カーナビも低価格化して普及してかなり長いと思いますが、今まで愛車に装着した経験は一度もありません。理由は「行き先を機械にゴチャゴチャ言われるのが嫌だから」という単純な理由です。

他にも書ききれないほど多数のことがあるのですが、これだけ「自分以外で同じような人を周囲でリアルに見聞きすることって、あまり無いよなぁ」という項目がいくつもある訳ですから、どちらかと言えば「変わり者」なのだろうなと自ら感じるのだと思います。

しかし「世俗離れ」している訳ではない

しかしながら、いわゆる「世俗離れ」しているという訳では無いとも思っています。

サラリーマン時代の話なら、上記のように社内での格好や態度は(今から思えば我ながら考えても)問題があったのでしょうが、これが客先に行く時などは逆にキチッとしてまして、その理由も単純で上司や先輩に媚びることは自分の仕事ではありませんが「お客さんに不快な思いをさせない」のは完全に「自分の仕事の一つ」ですので、キチッとした格好や態度で接していました。そして客先の評判は常に高めでした(別に格好や態度が評価されている訳ではなく設計の仕事の内容が評価されていたのですが)。

ただ、ではどのような態度で接すれば「最低限、相手に不快感を与えないのだろうか」という部分は自らの感性(すなわち「普通」とは何か)で判断し決めていた訳ですので、十年近く勤めてましたのでかなりの人数の相手と接しているのですが大きなトラブル等は起こさなかったことを考えると、そういう部分の「普通」に関する私の感性は、世間一般からそれほど大きくズレてはいないのだろうと今更ながら思います。

その後、小さな事務所勤務を経て最終的にはフリーランスになり現在に至りますが、それ以降の客先(取引先)に関しても、もちろん「この相手とは縁を切る」と自ら思って(恐らく相手も思っている)縁を切ったようなケースはありますが、自分の振る舞いや態度等に問題があり知らない間に「相手から縁を切られた」みたいなケースは今までに一度もありませんし、それは私が自由気ままに振舞っている訳ではなく(と言ってもそれほど我慢などをしている訳ではなくむしろ言いたいことは結構言うタイプであるとも思いますが)、やっぱり「普通」はこの一線を超えたらいけないのだろうと自制するようなことは日々ありますので、フリーランスになってからは全てが自分の裁量で自己決定しながらそのような振る舞いをしてきた上で、客先とのトラブルも無い訳ですから、やっぱり「普通」に関する私の感性は、世間一般からそれほど大きくズレてはいないのだろうと改めて思うのでした。

以上は「仕事」に関する話ですが、他には例えば結婚してからの妻側の両親や兄弟との付き合いに関しても、もしくは子供が出来てからの近所付き合いに関しても、それこそ「普通」を意識してに自らの振る舞い方は考えますし、そしてトラブルのような事態に陥ったことは一度もありません。

「普通」と「変わり者」の狭間で

と言う訳で、今回の自己分析の結果をまとめると、私という人間は、

「世間における常識とか普通などの内容の把握は、最低でも実生活において大きな問題が起こらない程度に行える程度の感性は十分に有するが、好き嫌いで言えば世間の常識なり普通とはズレたものを好むことも多く、そして誰かに迷惑を掛けない限りは自己責任で好きなものを求めながら生きてきた」

ということなのかな、と改めて思いました。

ここで言う「迷惑を掛けない」というのは、例えば仕事に関してなら、直接的に誰かに迷惑を掛けないというだけでなく、例えば失業して仕事を失って稼ぎが無くなるような事態に陥ることも色んな意味で色んな人に迷惑を掛けることになりますので(路頭に迷うという意味で家族に迷惑を掛けますし、また納税できないという意味では社会に迷惑も掛ける)、そういう事柄に関しては失業などしないように接客態度などは色々と「自制」しているのだと思います。

逆に、例えばフリーランスになる程度の話なら、最低でも自分に限って言えば普通に家族を食べさせて普通に納税する程度であれば普通に稼げる自信が30歳を過ぎた頃には確信的に有していたので、「世の中の普通の人ならどうするのだろうか」みたいな悩みは全く抱かずに思い立ったら即断的に独立したのだろうと思います。

仕事以外にも、例えば結婚なら妻と出会い「この人となら上手く行くだろう」と確信的に思ってスピード結婚した訳ですが、これも世間一般より期間が早かろうが誰にも迷惑を掛けるような話では無いので、自分の確信に正直に即断的に動いたのだろうと思います。

おわりに

特に仕事に関しては、サラリーマン時代の社内での振舞いとか(今から思えば自分でも間違った態度(いわゆる若気の至り)と感じる部分もあります)、最終的にはフリーランスになり自宅で快適に仕事をしていたりとか、結構自由気ままに振舞っているほうだと思います。

ただ、その「自らの自由」を担保する為に、「圧倒的な本業(設計の仕事)の技術力を身に付けてきた」こともまた事実であり、そしてそれを身に付ける為に人一倍多くの時間を仕事に費やしてきたこともまた事実です。

更には自由に振舞えば振舞うほど「失敗した時に後が無い」という意味での自らの責任も大きくなるように思いますので、私の歩んでいる人生は自ら「楽(たの)しい人生である」とは思っていますが、「楽(ラク)な人生」とは決定的に違うと、自分ではそのように思っています。