kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

若者の交通事故 「若気の至り」は分かるけれど

はじめに

若者がクルマに複数乗り合ってドライブ中に大きな死傷事故(ドライバーや同乗者が死傷してしまった自損事故)を起こしてしまったというニュース記事をしばしば目にします。最近も続けて何件か目にしました。

道路脇の斜面に乗り上げて横転したり、電柱やガードレールに激突したり、そして同乗者が車外に放り出されたり、そのような類の事故です。

杓子定規に全ての交通法規を守れ、というのは老若を問わず綺麗事なのかも知れませんが、そこまで極論で無くとも、「もう少しスピードを落としていたら」とか、「せめてシートベルトさえ装着していたら」とか、そのような類の「たったそれだけ」のことでも救われる命は少なからずあるのだろうと確信する次第です。

私の実体験

私自身も免許を取得して一年未満の「若者」の頃(20歳の頃)に、大きな自損事故を起こしたことがあります。

制限速度が50キロの片側1車線(対面2車線)の国道の山道で、真夜中に50キロ+αで軽く流していたら、後ろからタクシーが急接近してきて、いわゆる「煽られる」格好となりました。何十秒かしてカッとなった私はアクセルを床まで踏み込み、スピードが100キロほど出たところでかなり急な右カーブが現れてしまいました。

曲がりきれず左側のガードレールに激突して横転し、クルマが逆さまのまま路面を滑っていって対向車線を跨ぎ反対側のガードレールに到着し、それに激突して逆さまのまま停車しました。なお、途中から気を失っていたので、クルマが停車していた位置や状況により「後から考えれば」という記述となります。ちなみにクルマは乗用タイプの軽自動車でした。

助手席には友人が乗っていましたが、幸いなことに友人も私も、命に別状は無く後遺症などもありませんでした。なお、友人は頭を数針縫う怪我をして、また私は耳がちぎれそうになっていたので頭と耳を合わせて二十針近く縫っており耳の形も少し曲がっていますので、それほど小さな怪我で済んだという訳ではありませんが、二人とも「命に別状は無く後遺症など無かった」訳であり、これは非常に運が良かったのだと当時も今もそのように思っています。

もし、例えば逆さまで滑っていっている時に対向車が来ていたりとか、もしくは最終的にガードレールで止まりきれずに崖下に転落していたりとか、「もう少しだけでも運が悪ければ」普通に死んでいたのだろうと今でも思っています。

百パーセント自分の責任

タクシーに煽られなければ、と言うのは言い訳なのであって、責任は百パーセント自分にあるのだと思っています。何故なら煽られるのが嫌ならば、横に避けてタクシーに先に行ってもらえば良いだけの話だからです。真夜中で交通量も少なかったでしょうから、避けれそうな箇所はいくらでもあったハズです。しかしそうせずに「カッとなり」アクセルを踏み込んだ訳ですから、百パーセント自分の責任である訳で、それは「歳を取った今だから思える」という類の話ではなく、若かった当時からその通りに思っていました。

そこで心を入れ替えたので、それ以降は無事故なのですが、もしその時に死んでしまっていたら「心を入れ替える」も何も無い訳で、また死ななくても大きな後遺症が残ったり、もしくは友人を死なせたりしていれば、かなり深い後悔を抱きながら生きていくことになったのだろうと思います。

そうならずに済んだのは、自分の力などは全く関係無いのであって、百パーセント「たまたま運が良かっただけ」なのだろうと、当時から今でもそのように思っています。

おわりに ~「若気の至り」は分かるけれど~

そんな実体験があるが故に、若者が「若気の至り」で危険な運転に及んでしまう気持ちは、全く分からない訳ではありません。

ただ、自分の人生を振り返った時、もちろん若者の時分もその時なりに楽しかったですが、それから歳を重ねるごとに、仕事が充実し、結婚して子供が出来て、非常に充実感を感じながら人生を送っている現状を考えた時、その「充実感を感じる対象」のほとんどは「20歳の頃に事故を起こしてしまった」後から手に入れている訳です。

すなわち、もしもその事故の際に「万が一」のことがあれば、現在の幸せな生活が無かったのだろうと考えた時、現在「若者」の人たちに対しては、「若気の至り」は分かるのだけれど、それでも何とか踏みとどまって、自分自身や同乗者の「命」を大切にして欲しいなと、そのように切に願う次第です。