kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

最初から完璧な「結婚相手」など居ない、と思った話

はじめに

以下の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

結構長い記事で、かつ今回取り上げたい(感銘を受けた)部分は本筋とは少し違う部分の短い一文ですので、まずはその一文を以下の囲みに引用致します。

吉縁会が考える、幸せな結婚とは何だろうか。

 「幸せな結婚とは、幸せになれる条件の整った相手を探すのではなく、この人と決めた人と幸せを作っていくことです。

この一文を読んで、結婚して十五年近くになる私(45歳男性)が、改めて思ったことを以下に記します。

最初から完璧な「結婚相手」など居ない

改めて思ったのは「最初から完璧な「結婚相手」など居ない」のかも知れないな、ということです。

例えば外見や家柄や年収などを細かく条件付けして、全ての項目において自分が望む「満点」を満たす相手と出会える可能性など、確率的に「ゼロ」では無いのかも知れませんが、滅多に無い(=ほぼゼロ)のではないか?と改めて思いました。

「ゼロか百か」の判断で良いのか?

結婚を目指すことを考えた時、(下で述べる通り本当は違うようにも思いますが仮に)「全ての項目で満点の相手と結婚すること」を百点満点、そして「誰とも結婚せずに終わる」ことをゼロ点として、「百点満点で無ければ、ゼロ点のほうがマシ」と考える人のというのは、結婚には至らない可能性が極めて大きいのかも知れないな、と改めて思いました。

すなわち、「とにかくゼロ点は避けたい」(=どうであっても必ず結婚はしたい)と考える人が結婚に至るのだろうと、考えてみれば当たり前なのかも知れませんが、そのように改めて思いました。

そもそも「出会い」の段階での評価の意義が高くないと思う理由

もちろん、結婚というのは全く別々に育った男女が同じ屋根の下でずっと暮らしていく訳ですので、「どんな相手でも良い」ということは有り得ないように思いますし、出会った瞬間に「どうしても生理的に受け付けない」という相手が居てもおかしく無いように思います。

しかしながら、最初の直感で「どうしてもダメだ」という訳でもなく、むしろ「話しやすい」みたいな印象の相手なのであれば、別に全てが満点(=完璧に理想の相手)で無くても良いように改めて思いました。

と言うのも、例えば年収だったら結婚当初は「満点」だったとしても、会社が潰れたり病気で十分に働けなくなったりして途中で「満点」では無くなるかも知れません。相手の年収が十分なら結婚生活を続けるが相手の年収が下がり、それが相手の止むを得ない(仕方ない)事情であるにも関わらず、「それなら生活出来ない」などと言って離婚を考えるような結婚生活なら、そもそも最初から結婚しないほうが良いようにも思います。

外見だって結婚当初は「満点」だったとしても歳を重ねると変わっていくかも知れませんし、そもそも「既婚で歳を重ねた後」には外見などそれほど拘る事柄でも無いと自ら思うようになる可能性もあります。

性格だって最初は「優しくて落ち着く相手だ」と思っていても、自分の態度次第では相手も「恐く」なったり「暗く」なったり「雰囲気が悪く」なったりするかも知れません。と言いますか「相手がどんな態度であっても振る舞いや雰囲気がずっと一定」というような人は滅多に居ないように思います。

結婚は二人で幸せを「積み重ねて」いくこと

以上のように考えると、「出会って結婚する瞬間の相手の状態」に過度に拘る意義があるのか疑問があるようにも思いますし、また「その結婚の点数」を付けるとしたら、それは「結婚する段階」ではなく、結婚後に避けがたい問題が生じたことをお互いに乗り越えたり、自分の考え方や態度次第でお互いに優しく丸くなったり、他にも色んな変化を受け入れながら、一定の年数を重ねていった後に「その結婚をして幸せであったか」という観点から点数が付くのだろうと思います。

冒頭で引用した記事の一文を読み、そのようなことを改めて思ったのでした。

おわりに

いつも書いています通り私は妻と出会い系サイトで知り合ってスピード婚をしたのですが、真面目な感じのサイトとは言え結婚相談所等ではなく「出会い系サイト」で相手を探しているくらいなので、我々に関してはお互いに「あまり細かい条件など考えていなかった」のかも知れないな、と改めて思いました。

もちろん、事前にメールのやり取りをしたり、その後に初めて会ったりして、「どうしても生理的に受け付けない、ということはない」どころか「お互いにピーン」と来たのでスピード婚をしたのですが、そのような「ピーン」など当てにならないというか、実際に一緒に暮らし始めると「相手に違和感を感じる所は全く無い」なんてことは有り得ない訳で、その都度話し合ったりすり合わせをしたりしながらやっていく訳です。

それで年数を重ねるごとに「お互いに自然で居られる」ようになっていく訳で、それは「全く別々に育った男女が同じ屋根の下で長年暮らす」上では自然なことであると思いますし、それが「妥協」であるとも「諦め」であるとも「我慢」であるとも思いません。

そして夫婦で議論したりすり合わせをしたりはしますが、いわゆる「夫婦喧嘩」はほとんどしたことがありませんし、子供も一人出来て(現在小学四年生)、ずっと平穏に過ごしながらもう十五年近くになる訳ですが、そのような結婚生活を送りながら「本当に結婚して良かったな」という幸せを日々実感している次第です。

冒頭で引用した記事の一文を読み、そのようなことを改めて思いました。