kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

生活保護制度の原理原則

はじめに

私は政治とか行政に関しては素人なので、ここで生活保護制度に関して現行制度の批判や改善の提案等を行いたい訳ではありません。

もっと単純な、素人(普通の庶民)としての、思想的な部分に関する「思い」を簡単に記したいと思います。

「働きたい」けど「働けない」人の為、が原理原則

本人は出来れば働きたいのだが、諸般の事情により「働くことが出来ない」「働ける場所が無い」という方を対象とするのが、生活保護制度の原理原則だと思います。

すなわち、「働こうと思えば働ける場所はあるが、こんなしんどい仕事で、かつ給料も安いから、それだったら生活保護のほうがマシだ」なんて考えの人は、絶対に対象とすべきで無いのだと私は思っています。

「恥ずかしい」という概念

諸般の事情により働くことが出来ず生活保護を受けることは、決して「恥ずかしい」ことではありません。

逆に、働くことが出来るにも関わらず「働けない」と偽り生活保護を受けることは、「極めて恥ずかしい行為」です。

以上のような「決して恥ずかしくないこと」及び「極めて恥ずかしいこと」の峻別を、(皆が皆は不可能かも知れませんが圧倒的多数の)国民が合意していないと、生活保護制度というものは成り立たないのだろうと思います。

原資は税金であり、納税者は普通の国民(労働者)

当たり前の話なのですが、諸般の事情により「働けない」人にも普通の生活を送ってもらおうと生活保護制度でお金を支給する場合の、その「原資」は税金なのであって、その税金を納税している人の圧倒的多数は額に汗して働く普通の国民です。

何故だかこのような話になると、例えば国(政府)とか、もしくは大企業などを、あたかも「巨人」のようなものに例えて捉え、その「巨人」が財政を捻出しているような錯覚を感じているような人も多いように感じているのですが、財政を捻出するという観点での国と言う存在はイコール国民(納税している労働者)ですし、もしくは大企業という枠組みで捉えても同じです。大企業だからと言って「大企業に勤めているエリート層」だけの話かと言えば、決してそんなことはなく、下請の中小企業の労働者とか、もしくは「お客」として購買する庶民層とか、大多数の国民が関わっている訳であり、その人たちが「納税」する税金が生活保護の原資となっている訳です。

と言う訳で、このような問題を考える際の「支え手」を意識する場合、国とか地方自治体とか大企業とか中小企業とか、そういう意識の仕方よりも、「自分も含めた全ての国民」と意識するほうが適切なのだろうと、私はそのように思っています。

「働ける人にも支給される」傾向が強まると、困るのは「本当に働けなくて困っている人」

たまに、自らは普通に働いているのですが「弱者の味方」だと自認したいのか、グレーな事例に対して「少しくらいグレーであっても、本人が困っていると言っているのだったら、支給してあげたら良いじゃないか」という感じの意見を聞くことがあるのですが、個人的にはこのような意見は「本当の弱者」の方にとっては味方とは正反対の存在なのだと思っています。

上で述べた「財源(原資)」の話から自明なように、頑張って働いて納税して原資を作るのは国民(労働者)である以上、少しでも頑張って働く人が多いほうが「本当に働けずに困っている人」へ生活保護制度を通じてお金が回る量の確保をしやすくなるのは極めて明確な事実なのだろうと思っています。逆に、「働こうと思ったら働けるけど働かずに生活保護を受給する」人が増えたら、基本的に原資となる税金が減りますので、「本当に働けずに困っている人」へ回るお金の量は減ってしまうことは極めて当たり前のことなのだろうと、そのように私は捉えています。

おわりに

「本当は働けるのか、本当に働けないのか」を明確に区分するような法律的な制度を完璧に作ることは、極めて難しいのだろうと個人的には思っています。

従って尚のこと、国民の一人ひとりが、上で書いたように、働くことが出来るにも関わらず「働けない」と偽り生活保護を受けることは、「極めて恥ずかしい行為」なのだと強く思い、そのような考えが「標準的」だと言うような社会を維持することが、「本当に働けずに困っている人」に対する保護行政を維持することと同義なのだろうと、個人的にはそのように考えています。