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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「絶対出来る」という言葉の「絶対」に対する責任の違い

はじめに

以下の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

まずは関係する部分を以下の囲みに引用致します。

これについてゲストの大竹真一郎医師は「医者と患者さんの契約は必ずよくするというものではない。最善を尽くして診療にあたるというのが契約」と解説した。 

くわばたが「『100%治せるわけではない』と病院がそれを言ったらアカンちゃうんかな」とかみつくと大竹医師は「病気に絶対に誰でも治せるものなんてないんです」と反論した。 

MCの坂上忍(49)が「それは当たり前だと思うよ」と医師に加勢するが、収まらないくわばたは「(絶対は)ないかもしれへんけど、(言葉として)『一生懸命がんばります』みたいな…」と医師からの“誠意”を望んだ。 

大竹医師はうなずきながらも「100%尽くしますは言えます。100%治す、結果を問われると、これは無理ですよ」と最後まで主張を曲げなかった。

以上を読み思った私見を以下に述べます。

なお、上記記事では「必ず」とか「100%」という文言が使用されていますが、以下では全く同じ意味で「絶対」という文言を使用しています。

「絶対出来る」という言葉の「絶対」に対する責任の違い

例えば駆け出しのお笑い芸人が「今回は絶対に観客を笑わせます!」と関係者に宣言して舞台で芸を披露したが全くウケ無かったとして、「お前、絶対って言っただろ!」と言うような責められ方はあまりしないような気がしますし、もっと言えば「絶対」という文言に対して「言質を取られる」というような意味での責任の取らされ方をするような事態には、まず至らないように思います。

一方で医師の場合は、ベテランどころか駆け出しの医師であっても、「医師」という立場で何かを発言する以上、医学的(科学的)に100%だと言い切れない事柄に対して「絶対」という文言を用いてしまうと、後になってそれが達成できなかった時に、医師本人やもしくは所属する組織等が「責任を取らされる」という事態に陥ってしまうという意味で「問題化してしまう」ということは往々にしてあるように思います。

これが医師が患者の病気に関して「絶対に治します」とは原則として言えない理由なのだろうと思いました。

「責任の軽重」というより「相手との関係性」の問題

では、「お笑い芸人」という職業は責任が重く無く、「医師」という職業は責任が重いが故に上で述べたようなことになるのかと言えば、もちろんそういう側面もあるのかも知れませんが、基本的にはそうでは無くて、その「絶対」という発言をする相手との「関係性」により左右されるのだと思います。

例えば親の立場として子供を育てるという行為は極めて責任の重い行為だと思いますが、では親が子供に対して「今度の日曜日は絶対に遊びに連れて行くから」と言ったにも関わらず、急に仕事などが入ってしまい連れて行けなかったとしたら、「誰かから何かの責任を取らされるのか」と言えば、決してそうではありませんし、またこのような約束の反故を頻繁にするのは好ましからざることだと思いますが、「たまに」そのようなことがあっても、それは「メチャクチャ責められるべき悪業」かと言えば、決してそんなことは無いように思いますし、もっと言えばそれはその親と子供の普段からの関係性により判断も様々なのだろうと思います。

と言う訳で、

・お笑い芸人とその関係者
・医師と患者
・親と子供

などの関係の中で、またどのような内容に関して言及しているのかも踏まえて、「絶対」という文言の位置づけが大きく変わってくるのは、極めて当たり前の話なのだろうと思いました。

おわりに

どのような職業であっても、それが報酬を受け取って行っている「仕事」である限りは、「絶対に出来ます」と言ったことは原則として必ず履行する必要があるのだろうと私は思っています。

ただ、どうしても避けられなかった「不測の事態」は必ずある訳ですが、そのような事態に陥ってしまった際に関係者から「絶対って言ったじゃないか!」と責任を追及されるのか、逆に「今回は仕方無かったね」と笑って済ませてもらえるのかは、それこそ常日頃の「自分の責任を必ず果たそうとするような姿勢」が強いのか弱いのかで大きく変わってくるのだろうと思いますので、やっぱり常日頃のそのような姿勢は大切なのだろうと改めて思いました。