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kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

褒める子育て or 褒めない子育て ・ 叱る子育て or 叱らない子育て

はじめに

我が家には一人息子がおりまして、現在小学四年生です。

私(45歳男性)は息子が一歳過ぎの頃に仕事を独立しまして、以降は自宅で仕事(フリーランス)をしていますので、子供と関わる時間は長いほうだと思います。

子供の年齢に合わせて、自分の振る舞いも色々と変わっていると思いますが、基本的にずっと変わらないこと、それは、

・何かを頑張ったりした時などはストレートに「褒める」
・何か悪いことをした時などはストレートに「叱る」

というものです。これはずっと一貫していると自分では思っています。

ストレートに「褒める」

「褒めない子育て」というのもあるそうですが、私は普通に褒めるときは褒めます。

大した理由なんて特に無くて、それが自然に感じられるからです

何か複雑な理由付けをして「親として褒めたいけど褒められない」とか子供が「親からほとんど褒められたことがない」などの状況に至るのは個人的には極めて不自然だと思っています

「いつも褒めまくっている」という感じでは無いと思いますが、テストの点数が良かったとか、部活で頑張ったとか、他にも妻に対する態度が優しかったとか、そのような日常的な理由で日常的に褒めて育てています。

ストレートに「叱る」

上と同じ理由ですが、「叱らない子育て」と言うのは極めて不自然であると個人的には思っていまして、普通に叱る時は叱って育てています

この「叱る子育て」も小さな時からずっと一貫していますが、こちらは上記の「褒める」とは異なり、息子の年齢と共に「叱り方」は変わっていると思います。

小さな頃ほど「大きな声」を出していましたし、大きくなるほど「落ち着いた声で教え諭す」感じになっていると思います。

ただ、近年の「落ち着いた声で教え諭す」感じでも普段(叱っていない時)の雰囲気とは全く異なるようで、息子にとってはかなり恐いようです。(恐い、という表現は少し違うかも知れません。ようはかなり神妙な顔つきになります)。「叱る」と言うよりも「説教」のほうがイメージとしては近いかも知れません。

小さな頃は「悪いこと」である、例えばお友達に意地悪をしたとか、危険な行為をしたとか、そういうことが対象でしたが、大きくなるにつれてそういうことは減っていき、もっと高度な内容になっていきますので、私の叱り方も上記のように変わっていったのだろうと思います。

勉強の凡ミスでは叱らない

勉強に関してですが、いわゆる凡ミス(ケアレスミス)では基本的に叱らないようにしています。点数が良かったら褒めますが、逆に凡ミスで点数が悪くても、それで叱ることはあまりありません。

いずれ「受験」など試験の点数を意識しなければならない時が必ず来るのですが、今はまだその時期では無いと思っています。

勉強の本質は必要なことを理解もしくは暗記などすることであって、それがクリア出来ていれば目的は達しており、それの「確認」を行う目的の「テスト」の際に凡ミスをしてしまうかどうかは基本的に本質的なことでは無いというのが私の考えです

ただ、テストの凡ミスは普段の生活の「不注意」とも関係していますので、程度問題でもあると思っています。そういう意味で息子の不注意の程度が私から見て「小学四年生の子供だったらこの程度なら全く問題無いだろう」と感じるレベルである、ということかも知れません。

どちらにしても、親の態度が過剰に「テストで一点でも多く取れ」みたいな雰囲気になることは基本的に良くないと思っています

もちろん、学校の勉強で言うと「あまりにも字を雑に書いている」とか、自主勉強でやっている少しだけ難しい算数の勉強だったら「明らかに集中して考えていないような間違い」の場合は叱ります。

「叱る」際の注意点

完璧に出来ているかどうかは別として以下の点は気を付けています。

・叱った後に「不機嫌」と言うような態度を続けない。
・間違って叱ってしまった場合は素直に謝り、かつ何が間違いだったか、そして何を伝えたかったかをきちんと説明する。

おわりに

以上、手短に終わるつもりだったのですが色々と長々と書いてしまいましたが、一言で書くと、

・良いことしたら褒める(褒められる)し、悪いことをしたら叱る(叱られる)のが、人間として自然な姿

だと個人的にはそのように感じている、ということだと思います。