kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

ネット上で流布される「デマ」の定義

はじめに

以下の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

有名人の方を誹謗中傷する、いわゆる「デマ」をネット上で流していたという問題ですが、最初にデマを流した女の動機を上記記事より以下の囲みに引用すると次の通りです。

「人の興味を引くような記事を掲載して閲覧数を伸ばし、広告収入を増やしたかった」

以上を読んで思ったことを手短に記します。

極端な「デマ」だけの問題では無いのかも

上で紹介した事例は典型的かつ悪質な「デマ」ですが、そのような悪質なケースに限らない、もっと一般的な問題を有しているようにも思いました。

すなわち、この手の「デマ」を流布する動機の流れは以下のようになっています。

(1)自サイトに多くの人を集客したい。

(2)自分のサイトで人目を引く情報を流布する。

(3)多くの人がそのサイトを訪れ情報が拡散される。

以上の流れとなっているのですが、これは今回紹介したような「極端で悪質なケース」に限った問題でしょうか?

上記(1)について

まず(1)の動機ですが、今回の事例は「広告収入」を得たいという動機ですが、いわゆるお金がらみであっても、そうでなくいわゆる「目立ちたい」「アクセス数の多いブロガーになりたい」というような自己顕示欲的な動機でも、その後の流れの「問題」の質や大きさには基本的に影響を与えないように思います。

上記(2)について

今回の事例のような「他人を誹謗中傷する悪質なデマ」とか、もしくはいわゆる「バカッター」のように自分が目立ちたいが故に公序良俗に反していると一目で分かるような画像や映像を流すとか、そのような「極端な事例」に限った問題では無いように感じます。

例えば、「会社を辞めたいと思ったら明日にでも辞める”べき”」という情報をブログ等で発信するとします。

自らの経験としてそのように振る舞い、またそうして一定年月が経ち、いわゆる「成功」という結果が出ている人が、自分以外に色んな性格の人たちが世の中に居ることなども熟慮した上で、それでも確信を持って「べき」と思うが故にそのように意見発信する場合は何も問題が無いと思っています。

しかし、自ら結果を出せていない(途中段階で結果が出せるかどうか不明である)とか、もしくは結果を出せている人であってもその方法論が世の中の多くの人にも当てはまるか否かなどを熟慮しその意見発信が世の中に対して役立つかという観点と言うよりかは、

「○○と私は思う、なんて書き方をするよりかは、○○であるべき」と書くほうが人目を引きアクセスを集めやすいから、「べき」と言いきってしまっちゃおう

みたいな思考で意見発信しているとすれば、それは違法性等の問題は横に置き、いわゆる精神性の部分においては、

(1)自サイトに多くの人を集客したい。

(2)自分のサイトで人目を引く情報を流布する。

という部分において冒頭で述べた事例で「有名人に関する悪質なデマ」を流すような人と、大差が無いと言えば言い過ぎかも知れませんが、方向性としては一致しているように思うのです。

おわりに

ブログなどによる意見発信など、はっきり言って「無名で誰にも読まれない」のであれば、それこそいわゆる「ネット上のゴミ」と言われても仕方の無い部分もあると思いますので、そういう意味では少しでも人に読まれるようにする為に「べき」という言葉遣いなど「人目を引く」表現方法を採用する行為を全面的に否定するつもりは全くありません。

ただ、特に広告収入を目指している人であれば(と言うか私は当ブログでは広告収入は目指していませんがそれでも常に考えていますが)、自分の意見発信が「世の中の為のもの」なのか「自らの集客の為のもの」なのか、完全に線引きはもちろん出来ないのですが、その意見発信をする際の自らの心情がどちらに傾いているのかなど自ら注意深く考えておく必要があるのではないかと、個人的にはそのように考えています。