kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「多様な価値観」の重要性について

はじめに

企業のCMとか自治体のPR動画などが「炎上」状態となることがしばしばあります。

賛否が真っ二つの場合は別なのですが、「ほぼ批判一色」という時があります。

その存在を踏まえて思ったことを簡単に記します。

「多様な価値観を認める」はずが、逆の結果になる危険性

あまりにデリケートな問題は取り上げる勇気が無いので、比較的「穏やか」な事柄に関して例示します。

「専業主婦は是か非か」という問題があるとします。

これは事実であると個人的には思っていますが、これまでの社会というのはいわゆる「専業主婦」の存在に税などで優遇している面がありました(今もあると思っています)。

これは「男女の機会の均等」とか「多様な生き様の肯定」とか、もっと平たく言えば「男女平等」のような観点から不公平ではないか?という疑問の趣旨は十分に理解出来るところです。

すなわち、例えば結婚している夫婦がどんな配分で夫と妻のどちらが働くかとか、そもそも結婚せずに独身を貫くのかとか、そのような選択は個人の自由であり、かつ全ての人々に平等であることが「社会として好ましい」という立場に立てば、「結婚して主に夫が働き、妻は主婦業に専念する」という選択をした人々だけ「優遇」されるのはおかしいのではないか?という疑問は十分に理解出来る訳です。

私個人が何が好ましいと思うかどうかは別として、上で述べたような考え方が普及し、そして社会制度が変わっていくことを私個人として「認められるか否か」で言えば、それは認められる、という意味となります。

しかしそれが行き過ぎてしまって、例えば将来、「専業主婦=無職で穀潰し」みたいな意見が蔓延し、専業主婦の人たちが陰に隠れるような存在になってしまったら、それは好ましい社会と言えるでしょうか?

そもそも「多様な意見の肯定」が出発点では無かったか?

元々の意見発信者は「男よりも女を上にしたい」とか「専業主婦より共働きを上にしたい」とか、そのような動機により意見発信を始めたのでしょうか?

中にはそういう人も居るのかも知れませんが、圧倒的多数はそうではなく、「多様な考え方」「多様な生き様」の人々が出来るだけ「平等」に扱われるべきという動機であるのだろうと個人的にはそのように信じています。

そのような立場に立てば、現在の状況から逆に触れすぎて「専業主婦=無職で穀潰し」みたいな風潮が蔓延する社会も望まないハズです。

これは専業主婦の問題に限らず、例えば性的少数者の話題であっても何であっても、基本的には全て同じ構図なのだろうと考えています。

「現在の自分の価値観」よりも優先されるは「将来の社会の多様性」

現在の自分の価値観により否定したい出来事は山ほどあります(特に公序良俗に反するような事柄など)。

ただ、自分が信じるその否定の普及が現在の社会において達成されるのと、その考えの正反対も含めて「多様な価値観」が将来の社会に残されるのを比すれば、重要性は圧倒的に後者が高いのだろうと個人的にはそのように思います。

何故なら、現在の自分の価値観なんて「絶対真理」でも何でもありませんし、またそれは私だけで無く多くの人々でも同様であると思っている為です。それは例えば性的少数者に対する見方や思いに関して「たったこの数十年」に限って言っても、私も含めた社会全体の捉え方はかなり「様変わり」していることからも分かります。

そのような儚い「現在の自分の価値観」の肯定化なんかよりかは、自分が全く知らない「将来の社会」において、より普遍的な価値である「自由な意見が言えて、そしてその存在が認められる社会」の存続のほうが、圧倒的に優位性が高いのだろうと思うのです。

おわりに(自己反省を少し)

少し上から目線の物言いに聞こえたかも知れませんが、これは自戒を込めた意見であって、今から思えば自ら「少し反省」することも多々ありまして、その内の一つを具体例を挙げて取り上げます。

少し前に「うなぎのうな子」(うなぎ少女)の動画が炎上する騒ぎがありました。

当ブログでは無いのですが、その前にやっていたブログ(現在は閉鎖)で私も批判的に取り上げたのですが、その時の取り上げ方を自ら振り返ると、少し反省する点もある訳です。

「うなぎのうな子」のような内容を「決定的に否定したい」という気持ちは今でも全く変わらないのですが、当時の批判ブログを書いていた際に「自分の知らない将来の社会の多様性」に関してまで考えが至っていたか、という意味で反省する点があるという意味となります。

そんな訳で、何かを批判的に取り上げる際にも、

・余程の客観的根拠が無い限りは「言い切り」の表現は控える
・その出来事なり価値観の否定はしても、その当事者(人や企業や自治体など)の存在までは否定しない

などの配慮が必要なのだろうと今では思うのであって、不完全な人間である私がそれを「完璧」に出来る訳では無いのですが、このようなことを常に心に留めておく必要があるのだろうと改めて思った次第です。