kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

私が高校受験時の「地元集中」運動において標的にされて学んだこと

はじめに

随分昔に無くなったようですが、私(45歳男性)が中学三年生の時(場所は大阪)、すなわち高校受験をする際(もう30年ほど前の話です)は「地元集中」運動が真っ盛りでした。

その「地元集中」とは何かを平たく言えば、「中学校の教師が生徒に対して、地元の特定の高校に進学するように指導する運動」となります。詳しくはウィキペディアに書かれています(コチラ)。

「指導」と言えば聞こえは良いですが、上記のウィキペディアから引用すると、 

中学3年次に学級委員、生徒会に選ばれたものは地元高校に行けない成績の場合を除き強制的に地元高校を受験させられ、地元高校に行ける成績にもかかわらずそれ以外の高校への進学意向を明らかにするとホームルームや学年集会の場で、糾弾にも近い形で槍玉にされることが日常茶飯事であった。

と言うような運動なのであって、平たく言い換えれば「運動に熱心な教師とその取り巻きの生徒たちが、標的となる生徒をいじめる(嫌がらせをする)運動」だと言ってしまって差し支えないと私は思っています。

なお、以降に述べる内容は私の個人的な経験であり、同じ「地元集中」運動であっても学校や地域や教師等の差によって状況は千差万別であったと思いますので、ご了承下さい。

一番の標的にされた私

上の引用では「学級委員、生徒会に選ばれたもの」と記されていますが、私はそれには該当しなかったのですが、少し珍しい進学先を希望したからか(その中学校からの受験は十数年ぶりと聞いた)、格好の「標的」とされてしまいました。基本的に地元高校(偏差値は低いが普通の公立校)と本質から異なる学校(工業とか商業とか私立など)を希望すると、「それを言い訳にして地元高校から逃げるのか」的な指弾を受けやすくなります。

そのような指弾は担任教師の他、取り巻きの生徒からも行われます(担任は比較的若い男の先生で、取り巻きは女子生徒でした)。はっきり言ってその地元高校と言うのはこの運動の特性上、「どれだけ学力が低くても誰でも入れる」状態に近いですので、取り巻きの生徒の大半は運動の理念云々以前に学力的にそこしか無いんじゃないの?という感じである訳ですが、担任教師とグルになって熱弁をふるう訳です。

中学三年生になりその運動が始まってから、担任の教師やその取り巻きの生徒たちのことを私は心の底から「人間のクズ」だと感じていましたので、その通りの態度を取っていた訳ですが(自分は別の道に行かせて下さいというスタンスではなく、あんたらの行動は人間としておかしいですよ、というスタンス)、それも「一番の標的」になった原因かも知れません。

友達も味方してくれないが…

確か職員室だったと記憶していますが、最初に担任教師に進学希望先を伝えたところ、周囲に聞こえる大きな声で、

「お前に受かるか~」「絶対落ちるって~」

と笑いながら言われました。確かに学力的には厳しい選択ではありましたが、教師という立場で生徒に対してこの振る舞いですから、今から考えても率直に「人間のクズ」だと思います。

そして毎週のように(と言うか週に何度もあった時もあると記憶している)担任教師とその取り巻きの生徒たちから『ホームルームや学年集会の場』で糾弾されるという異様な雰囲気である訳ですから、友達と思っていた生徒たちが全く味方してくれなかったことについては「仕方が無いこと」だと思います。すなわち、「理不尽にいじめられている仲間が居たら助けろ」なんてことは、その窮地が一定のレベルを超えれば「綺麗事」であると心の底からその時に悟った訳です。

一人で生き抜いていく力

中学三年生の夏の時点で模擬テストによる偏差値が50ちょっとだった私ですが、それを受験までに65程度まで上げる必要があった訳ですから必死で勉強した訳ですし、その為に生まれて初めて「塾」にも通った訳ですが、同じ学校を目指す仲間が居る訳でもなく、根本的には「一人きり」で頑張り抜く必要があった訳です。

自宅と塾では勉強を頑張りながら、学校に行けば「糾弾の場」で言い負かされないようにまた頑張る訳です。まさに「孤軍奮闘」と言えるでしょう。

そのように一人で頑張れば頑張るほどに、徒党を組み担任教師と一緒になっている取り巻きの生徒たちが「人間のクズ」に見えたのは、今から考えてもそれほどおかしな感情では無かったのだろうと自分では思っています。

しかし素晴らしい大人も居る

塾の先生にそのような話をしたら、本当に自分のことのように怒りの感情を共感してくれて、「その担任教師を絶対に見返してやれ」というスタンスでずっと指導してくれました。地元集中運動の裏話(上記のウィキペディアに書かれているようなこと)も休憩時間に教えてくれました。

そもそも、その塾には標準コースと特進コースがあって、偏差値50ちょっとの私はもちろん標準コースの門を叩いたのですが、入塾試験の結果を見て「数学の点数だけこれだけ高いということは、頭が良いということだから、特進コースに入れ。絶対に合格出来る。」と言ってもらって特進コースに入れてもらい、そこで勉強したからこそ、「合格」という結果にたどり着けたのだろうと思いますので、今から考えても大変有り難い話です。

「お前に受かるか~」「絶対落ちるって~」と鼻で笑うクズ教師が居る一方で、そのように温かく迎えてくれる大人も居る訳ですから、大人だと言って一括りに否定的に考えるのは間違いで、「素晴らしい大人も居るのだ」とその時に深く学んだのかも知れません。

担任教師との最後の会話

「絶対落ちるって~」という前提のもとに、合格発表のその日の午後に三者面談(担任教師と親と私)の予定を入れられていたのですが、幸いにも結果は合格でしたので、その結果を持って面談に臨み、私は担任教師に対して以下のように言いました(曖昧な記憶による再現です)。

「先生、『絶対に落ちる』って言ってたけど、これ、通知は合格やで。先生、国語の教師やろ。『絶対』という言葉の意味、ちょっと説明してくれる?」

そのようなことを言ったら担任教師はひきつった笑顔で「おめでとう…」とボソッと言っていました。

それから卒業式が待ち遠しくて、そして卒業を迎え、卒業後は当たり前ながら同窓会の類には出席することは一度もなく、小学、中学時代の友人と会うこともほとんど無く、そして地元を捨てて(親も現在の住居の近くに呼び寄せました)現在に至ります。

「地元集中」運動において標的にされて学んだこと

これまで述べてきたことの「まとめ」になりますが、私が「地元集中」運動において標的にされて学んだことは以下の通りです。

・世の中には自分ではどうしようも無いような「理不尽」な問題が時には自分に降りかかることがある。

・自分の信念は曲げずに、必要な時には堂々と主張し、そして自分で頑張り抜けば、未来は開ける。

・「仲間が居れば頑張れる」とか「仲間で助け合おう」とか、そのようなことは一定レベルまでの話なのであって、本当の窮地においては仲間が助けてなんてくれなくても当然だし、その時に頼れるのは「自分一人」なのだから、尚のこと自分を信じて頑張り抜くという思想が大切なのである。

おわりに

上で述べたような経験をしているからこのような性格なのか、それとも元々生まれ持った性格がこのような感じであったが故に上で述べたような状況になったのか、どちらが先なのか、それは私自身にも分からないのですが、どちらにしても当時から現在までずっとそのような性格であるからこそ、結局は誰とも組まずに一人きりでフリーランスで仕事をしているという現状に行き着いたのかも知れません(現在九年目)。

そして、そのような私であっても結婚してくれてずっと一緒に居てくれる妻というのは大変有り難い存在であるし、息子も含めてこの「家族」というのは私にとって非常に大切な存在なのだろうと改めて思いました。

なお、私自身は自分の生き方や現状に後悔や不満は全くありませんが、かと言って、では息子にも全く同じような生き方をして欲しいかと考えれば、それは必ずしもそうでは無いのですが、それでもやっぱり「最終的には味方が居なくなり一人きりとなっても、それでも頑張り抜ける力」というものは身に付けて欲しいなと思っています。