kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

お父ちゃんの愛車と息子の夢

お父ちゃん(私)の愛車は、新車で買って、現在九年目。

息子がまだ一歳児の時に買ったので、息子の記憶の中での「お父ちゃんの愛車」はこのクルマ一台のみ。

セカンドカー(主に妻が運転するクルマ)は何度か変わったが、「お父ちゃんの愛車」はずっと変わらない。

息子が幼稚園児の頃、諸般の事情でこの愛車を手放した(乗り換えた)ほうが良いか?というような話を妻としていたら、息子は「手放したらアカン」と泣いて訴えていた。

そのようなことが何度かあったが、その内に諸般の事情が無くなったりして、そのような話をすることも無くなった。

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先日、妻が入院していて、この愛車で息子と二人で色々と集中的に出掛けた時期があった。

その際に、狭い路地などが多い地域を走ったり駐車したりしていると、やはりこのクルマの「大きさ」を持て余すことを改めて実感した。出口付近に路上(違法)駐車があった関係もあるが、駐車場から出るのに10回近く切り返さないと出られない、ということもあった。

このクルマが我が家にとって「無駄」に大きいのは事実。何故なら九年ほど前に購入した際には、子供は二人目を考えていたから。

しかし「子供は一人だけ」が確定している現在では、明らかに「無駄に」大きい訳である。

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「やっぱりこのクルマ、大きすぎるし適度に小さなクルマに乗り換えようかな」なんてチラッと息子に話してみた。

もう小学四年生なので、「手放したらアカン」と泣いて訴える、なんてことは無い。息子は落ち着いた口調で以下のようなことを言った。

「僕が免許を取ったらこのクルマを貰って、僕が運転したいねん」と。

それが息子の夢である、らしい。

その頃、このクルマの車齢は17~18歳になっており、余程の人気車種でもない限り、部品の供給が止まったりして、維持するのは難しくなるような年数である。

そのようなことも伝えてみると、「もし壊れて乗れなくなったのなら、それは仕方ないし諦める。壊れてもいないのに手放してしまうのは、納得がいかない。」というようなことを、息子は落ち着いた口調で話していた。

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いや、私自身の思い入れももちろん強い。なんせ今まで2~3年でコロコロとクルマを乗り換えていた私が、何故だか現在の愛車だけは大変気に入ってしまって、既に九年目に入り、そして今でも飽きたというような感覚を全く抱かない訳だから。

そして、その年月の間に息子も大変成長し、その愛情表現も幼い頃とは様変わりしているが、それでもずっとこのクルマに対する愛着を抱いてくれている。

そんなこの愛車は幸せ者であると言えるが、最も幸せ者であるのはこの私であることは間違いない。

そんな日常に感謝したいと改めて思いました。