kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「モヤシの値段が安すぎる問題」を見て思ったこと

最近、モヤシの値段が安すぎるという問題を伝える記事をいくつか目にしました。

記事の引用まではしないのですが、平たく言えば小売価格が安くなり過ぎて、生産者の利益が少なくなって、廃業してしまう生産者も増えており、このままだと生産者が居なくなってしまうのではないか?と言うような問題です。

じゃあ、適正価格はいくらなのか?それは専門家でない私には分かりませんしここでは言及しないのですが、1袋が10円とか、そういう値段は確かに「安すぎる」のかなと思います。

そのような値段を付けてしまうのはスーパーなど「売る側」である訳ですが、そのような限度を超えた低価格を我々「買う側」が求めているからこそ、すなわち「安ければ安いほうが良い」という価値観が行き過ぎてしまっていることが、そのような値段で流通してしまうことの遠因であることは間違いが無いように思います。

そして、そのような価値観の構造と、その結果として過度に(限界を超えて)モノの値段が下がりすぎて生産者がやっていけなくなる危機に瀕する、という問題はモヤシに限らず普遍的なことなのだろうとも思いました。

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「安ければ安いほうが良い」というような価値観自体は昔からあっただろうし庶民としてはそれが多数派だったのだろうと思うのですが、「さすがにこんなに安かったらマズいだろう」というような常識による歯止めが、長く続くデフレ経済の中で失われて行ったのかな?と思ったりします。

最初の内は、今までと同じもの(もしくは今までより良くなったもの)が今までより安い値段で買える訳ですから、それは消費者とすれば大喜びです。

しかし上で述べたような問題で生産者がやっていけなくなれば、その商品が生産されなくなる訳ですから、そうなってからでは「絶対に買いたいと高いお金を出しても」モノが無い訳ですから買えない訳で、そうなってからでは手遅れです。

また他の問題として、消費者の大半はイコール労働者(普段は仕事をして財やサービスを生産している側の人間)である訳ですから、デフレの構造の中で継続的にモノの値段が下がっていけば、それと比例する形で自らの「給料」も下がっていっても不思議ではありません。すなわち、自分が消費者として買う時ばかりでなく自分たちが労働者として生産して売る側の際の「モノ」の値段も下がっている訳です。

そして、買う側としての「モノの値段」と労働者としての「給料」が比例して下がってゆけば「チャラ」なのかも知れませんが、給料の下落というのは皆が平均的になるとは限らず、すなわち既に高い給料を貰っている人(=上の世代)の給料は色んな部分で守られている(いわゆる既得権)ので下がりにくい構造ですので、その分だけ若い世代の給料が下がったり、もしくはまだ子供だが今から大人になり働く人の初任給が下げられたり、正社員ではなく期間雇用などで給料が安く抑えられたり、という形で若い世代にしわ寄せがいくのかも知れません。

私はマクロ経済に詳しい訳でも何でもありませんので上記は聞きかじりであって、それは間違いで「デフレであっても全く問題無い」ということであればそれで良いのですが、もし若者(や将来大人になる現在の子供)にしわ寄せがいくということが本当なのであれば、それを上の世代(私は現在46歳)として是認するというような姿勢は、人間として相当に問題があるように思っています。あくまで個人的考えですが。

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そんな訳で、私は今のところ「自分が節約し過ぎたら、若者限定か否かは別として、どちらにしても真面目に働いている労働者の給料というものに対して下方圧力が掛かることは間違いが無いだろうから、もちろん欲しくも無いものを無駄に買う必要は無いが、逆に生活に苦しくも無いのに過度に節約する必要も無いだろうし、すなわち節約=庶民としては完全に正しい行為、という思考からは抜け出さないといけないな」という風に随分前から思っています。

と言っても例えば本日もそうでしたが、よく行くお店で普段食べている定食(約800円)とほとんど同じ内容のものが本日はキャンペーンで約600円だったことを心の中で大喜びしているような「庶民」ですから、上で述べたような「考え」と実際の「感情」にはズレというかジレンマがある訳ですが、「だから何も考えない」よりかは「それでも何かを考えて」自分が正しいと思うような行動を1つでも2つでも増やしていけるのなら、それは決して無意味では無いと思っています。