kazu-tの色々と思ったこと

1971年生まれの既婚の男でフリーランスです。色々と思ったことを記します。

「美味いものを食べて幸せ」と「結婚の幸せ」は質的に異なる件

私は46歳の男で、結婚して15年近くになります。

独身の時の結婚願望は強かったと思います。そして結婚して(出来て)良かったなとずっと(今でも)思っています。

いわゆる夫婦喧嘩をした記憶はほとんど無いのですが、かと言って妻と私とでは考え方や意見などが全く同じという訳ではもちろんありません。意見がぶつかることもよくあります。すなわち、喧嘩ではなく「議論」になることはよくあります。それこそ日常茶飯事です。

また日常的な些細な行動に関して、「もし独り身なら、こんなことまで気にかけないだろうけど、そうしておいたほうが妻が快適なのだったら、そうしておこうか」みたいな感じで行動することもあります。逆に妻も同様だと思います。

じゃあ、そういう部分は「我慢」とか「耐える」とか、そういった類のものなのかと言えば、それは決定的に違うように思います。

真の意味で我慢し耐えている事柄というのは、手放したり逃げてしまって差し支えないものであれば進んでそうするでしょうしそれを望むでしょう。しかし私にとっての「結婚生活」というのは、全く逆で「絶対に手放したくないもの」である訳です。

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すなわち、大事にしたいものであるからこそ、許容できる範囲での制約なら進んで受け入れますし、また例えば妻と意見がぶつかり簡単に引ける内容で無いのならば、真剣に議論し、解決策を見つける訳です。言葉の定義の問題かも知れませんが、いわゆる「妥協」というものとは少し異なると思っています。

私は妻と子供(小学四年生の一人息子)のことを心の底から愛おしいと思っています。そしてその家族というものは「絶対に失いたくない存在」である訳です。

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例えばラーメンがもの凄く好きな人が、最高に美味いラーメンと出会った時には最高に幸せの気持ちになるでしょう。もちろん金銭的な対価は支払う訳ですが、基本的には一方的に提供を受ける側ですし、逆に味や店主の態度などに不満足であれば「次から行かない」で済む訳ですし、代わりはいくらだってあるという類のものだと思います。

そのような幸福感とは、結婚生活の幸福感は質的に全く異なるものだと思います。そもそも「代わりになるもの」なんて無い訳ですし、夫婦関係や子育てのことで上手く行かない何かがあれば真剣に悩み、善処し、そして自ら成長しながら、昨日より今日、今日より明日が少しずつ幸せになっていき、そして一定の年月が過ぎた後に過去を振り返ると、「ああ、この年月は充実した時間であった」とじっくりと幸福感を感じるようなものだと思います。もちろん、個別的に日々「嬉しいこと」も多くありますが、根本的な幸福感というのは先に述べたようなものだと思っています。

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最後にまとめになりますが、もちろん夫婦の相性や配偶者の境遇により千差万別なのかも知れませんが、結婚というのは「誰かと結ばれたから幸せ」「結婚出来たからバラ色」みたいな即物的なものでは無いと思っています。

それを心底から大切に思う自らの心と、それに基づいた自らの日々の思考や行動を伴ってこその「幸福感」であるのだと思っています。